別々に育った主人公二人が、二人ともおばあちゃん子なのですね。兄ブリュノの、祖母との死別、祖母の面影と暮らす歳月、やがて時と共にその祖母の存在が薄くなり消えていく様子、突如現れたその数行に号泣しました。わたしもおばあちゃん子なので。
その他のシーンはほとんど共感できないが、わたしがこの何気ない数行に涙したのと同様に、普通の人からすればなぜ?という箇所に、膝から崩れて床に額をつけて泣く人もいるのかも。(分類としては、こじらせ系?)
これを読む直前、「母と息子―フェミニズムの流れのなかで」を読んでいた。そして次がこれだ。フェミニストを非難する場面が出てくる。「皿洗い皿洗いって、フェミニストの人はそればっかり!」みたいな台詞。(日本では食洗機がある笑)
フェミニズムにしても、この極端な世界系にしても、どっちも欠けているものがある。それはユーモアのセンス。
あと、個人の欲望・執着・傷つきやすい自我を持て余す場合は、サーフィンなど自然と一体になれるスポーツおすすめ。「自分がなくなる」感覚がもてる。その意味で禅宗は、他の宗教と違い、自分だけ他者を超越する力を持つことを目的とするのではなくて、自我が消えるのが到達点なので、このSFの結末に近い。
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あ、思い出した。弟のミシェルが、こどもの頃テレビで見ていたアニメの「リボンの騎士」をなつかしく見るシーンがある。ミシェルはこれがじつは日本製って知っていたかな?
わたしが7〜8歳の頃、イタリア人の神父様が、トッポジージョ(というネズミのキャラ)のおもちゃをお土産にくれたことがある。大人になって、ミラノのデパートでおもちゃ売り場に行き、トッポジージョまだあるのかなと見たら、セーラームーングッズがいっぱいで、ええーっ?そんな。。。と思ったのも思い出した。