夏休みに帰る田舎がある友達がうらやましかった小学生の頃。祖父母とは同居でしたし、祖父の実家は大分市中央町。母方の実家は王子町。遊びに行っても住んで居た家よりもさらに自然がない環境(T_T)。
わたしは0才〜5才まで母が読んでくれる「くまのプーさん」(A.A.ミルン)を聞きながら眠り、自分で本を読めるようになってからはリンドグレーン(北欧の児童文学者)オタクでしたので、川で魚を捕るとか、木の実を摘むとか、に激しく憧れていました。
そして先祖のお墓は駅の近くの市街地のお寺の中。今お墓の石を見上げると、バックに高層マンションが。なんかいやだなあ。
こどもの頃、お盆の早朝にお墓参りに来ると、このお寺の末寺の住職の子どもたちが、夏休みの間、修行のために預けられていて、一休さんみたいな子たちが手に手にほうきを持って境内を掃除していました。わたしと妹の仕事はバケツに水をくんで運ぶこと。父が掃除し、母がお花を生けます。背後に巨大な楠があって、お墓の上にはいつも葉っぱが積もっています。
うちのお墓から数基離れた場所に、「滝廉太郎君碑」という石碑がありました。祖母、富美子(ふみこ)は、東京の南千住の生まれ育ちで、実家は廻船問屋でした。祖母は滝廉太郎の「花」の「上り下りの隅田川〜」という歌詞をよく口ずさんでいました。大分は遠い異境の地、でも結婚相手の(自分も入るだろう)お墓のそばに滝廉太郎のお墓があることをよろこんでいました。祖母にとって隅田川は、こどものころに親しんだなつかしい場所。関東大震災も経験しているのでいい思い出ばかりでは無かったのではと思うのですが、祖母はいい思い出だけを語ってくれました。
今回は久しぶりに母方の祖父母のお墓参りにも行きました。これも市街地の丘の上。今は市立美術館が建てられている緑地の一画です。ご先祖様たちが眠る土地より、どんどん郊外に引っ越してしまったわたしたち。自然大好きなわたしにとってはうれしいようなさみしいような。。。