これ超おもしれえ。おもしろすぎてどうまとめればいいのかわからない。文中に他の研究者や著作の情報が続々出てくるので、それをメモしながら、どこの図書館にあるのか、検索しながらだった。ちょうど自転車で落車して左手を痛め、何もできないので集中して読めた。
現代アフリカの周辺諸国の一つソマリランドと、室町時代の日本。それぞれを研究する畑違いの二人がtwitterで偶然、互いの対象社会が似ていることに気づき、会って対談をした記録。
学生時代、一般教養で文化人類学を選択していたが、講師の先生は研究のためアフリカ滞在、夏休みに1週間帰国して集中講義をするというスタイルだった。先生が対象にしていた部族では、牛泥棒とか不倫とか、何か揉め事があった時、3つの法によって解決すると。1国家が決めた法律、2カトリック教会の教え、3昔ながらの土俗的な掟。これらが複雑に絡み合った社会だという話だった。
ソマリランドも室町時代も複数の秩序が入り乱れていたらしい。両者に共通するものとして最初に出てくるのが
「ちょっとした盗みでもリンチ」
ソマリランドでは殺人は血か金で贖わなければならい、一方室町時代では人命を賠償するという発想はなかった。中世の日本において人の命は金には換算できないものだった=敵討ちの横行。
日本の中世では盗まれたものは穢れている(下着泥棒の比喩)
盗み行為や盗人はケガレなので荘園から追い出すー>罰されずにのうのうと生きているのは許せないー>リンチ
「頼られたら断れない(事の善悪関係なく)」「ゲスト至上主義ホストは奴隷」
「中央集権国家を作る試みにより地方まで技術や知識が下方分有される→荘園の発達」
「中世の日本は中華文明の辺境」
著者二人による解説
「刀(ピストル)は武器という機能以上にプライドを表す意味がある」
内戦(応仁の乱)が終わっても武装解除をするのが難しい。戦争は始めるより終わらせるのが大変という(東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンで武装解除を指揮した伊勢崎賢治さんも呼んできて一緒に語ってほしい)。元禄時代の生類憐みの令の真意は、戦国時代が終わっても闊歩する浪人やかぶきものを取り締まるためだったのではという説。太平洋戦争終結時も「日本国民が総浪人化しないよう細心の注意を払うべし」という報告書が占領軍に提出されていた。
「信長とイスラム主義は似ている、厳格なフェアネス」
「軍事政権をソフィスティケートした綱吉」
「詩歌により異性にアプローチする」
「ソマリ人はせっかち&権威が通用しない平等社会」(大分人か?)
「ムラ社会(地縁)日本は、応仁の乱から〜高度経済成長時代まで」
コメが貨幣とされたわけ
「江戸の貨幣制度は、銭、金(東日本)、銀(西日本)の三貨制度」
金は4進法、銭は10進法、銀は重さを測る
東西の経済を結ぶのは、計算ができる両替商の仕事
イスラムにおいては口髭は男性らしさ、あごヒゲは信心深さを表す(高野)。
元禄時代に戦国時代との決別という日本人のマインドの変換点があった。同時にヒゲと男色が衰退した。ヒゲと同性愛は男性文化の象徴。過酷な社会を生き抜くためには信頼できる男だけで周囲を固める方がいいというマッチョな価値観。武士階級だけでなく農民にもあった(清水)。
「古文書の世界では、新たな古文書を発見したということについては敬意は払われない。古文書はすぐに活字化されて誰でも閲覧できる状態になる。古文書を読み解き、新たな歴史の解釈が出てきたとき仕事が評価される(清水)」
史料入手の部分は偶然の結果によるのだから、それは研究者みんなに平等に分け合い、解釈で正々堂々勝負するという。歴史学の世界かっこいい。無駄な争いがなくて。さすが。
我々が米を想像するとき、それは温かいものだけど、保温技術がなかった時代、ご飯は冷えたものだった。冷やご飯を熱いカレーで温めるなど。
日本の中世の社会システムについて、インドの奥地に住んで気がついた例。歴史学者を目指す若者は発展途上国を旅する経験を持つべし。辺境を知ろうとするとき歴史が役立つように、歴史を考えるときに辺境での見聞が役に立つ(清水)。
(わたしは若者はまずはヨーロッパを旅して圧倒的な文化に触れ、差別され、自分が実は小さかったということに気がついてから、アジアの辺境やリゾートに行って欲しいと思っています。)
江戸幕府とミャンマーの軍事政権はどう違うのか。「逝きし日の面影」に描かれていることの8割は数年前のミャンマーにも言えること。江戸時代は文書社会。読み書きできる層が多かったので緻密な支配ができた。ミャンマーも貧しいながら識字率が高い(高野)。
独裁者、権力者は平和を要求する。ミャンマーの民族紛争、宗教紛争は軍事政権が止めていた。民主化が始まってからの方が暴力による犠牲者が多い(高野)。
精霊、妖怪は実体に近づくほど目に見えない。室町時代は宗教性が薄れていった時代。お坊さんが最後に霊を成仏させる幽霊譚を能というショーとしてみせる。タイの話に似ている。不思議な現象が起きてお坊さんがお経を読んで終わり。または宝くじが当たる(高野)。
フィールドワークの手法について
外部の人間に最初に親しげに声をかけてくる人は村ではアウトサイダーだったりする
村長と酋長の二重権力があり、対外的には村長しか見えてなくて実力者は酋長だったりする(高野)
取材に非協力的な家は村における没落家系だったりする
言いたい人からしか聞かないと公式声明みたいな内容しかわからない
上からのアプローチと下からのアプローチを同時にやるといい(清水)
多数決で性急に判断せずにだらだら話し合いをして禍根を残さない工夫(宮本常一)
歴史学者もルポルタージュの手法を使ってフィールドワークをする
史料などのネタが弱い箇所は筆に気合が入る(清水)
一流の研究者はストーリーテラー、仮設を立てるのがうまい(高井研)
歴史学では多くの史料を読み込む経験が必要なので、数学のように若い天才は現れにくい(清水)
ライターとして生きていくには、自分の中に特殊な核となるものがないと(夏目房之介)
ノンフィクションの暗くて重いものが多いのがいやだ
少数民族や弾圧されている人々はかわいそうなだけでじゃない
現実にはそれでも明るく生きている
普通のノンフィクションは明るい部分や笑える部分を削除している(高野)
面白い話でないと読まれない、面白ければ問題が読者の心にスッと入る(高野)
70年代までの民衆史は民衆vs権力者という図式で、民衆同士の争いを想定していなかった(清水)
ソマリでは自殺は負け。死して身の潔白を証明などということはあり得ない(高野)
「空気を読む」国、日本、タイ、エチオピアは植民地支配を受けていない(高野)
ミャンマーやタイの農民は定住しているイメージが少ない(応仁の乱以前の日本と同様)
ムラ社会の厳しい掟に縛られていない(高野)
今の日本はムラが解体し、日本という国自体が最後のムラ社会(清水)
アフリカで乗られている中古車は圧倒的に日本産。日本では中古になると価格が下がるため。他国では中古になっても価格が下がらない。他人の手が触れたものは穢れているという感覚(高野)。割り箸、かわらけの杯など使い捨ては日本の伝統。形見分けの風習。魂が物に乗り移る感覚(清水)。
中世には公の場所で公権力が及ばないところもあった。戦国大名によって民衆の生活に法が張り巡らされた(清水)。
今の日本でも「お上」に対する依存度は他国に比べて格段に高い。非政府組織という名がつくNGOが活動しにくい。行政の認証を受けた特定非営利活動法人NPOの方が協力を得られやすい。海外ではNGOの方が国の利害に関係なく正しい行いをすると思われている。日本ではお上に楯突く連中のイメージ。(高野)
戦国時代、敵が攻め込んで滅びそうになると大名は百姓に出動を要請するが、国民国家的なアイデンティティを持っていなかったため「お国のために」と言われてもついて来ず(清水)。政府が「お国のために」と言いだしたらもう終わりという意味(高野)。
今生きている社会がすべてではない。今の日本は特殊な方。(清水)(高野)