著者の「竹の民俗誌」を読んだときに、戸籍を持たず山に暮らし漁撈採集生活の傍ら竹細工などで収入を得ていた人々が、1950年代まで居たと知って衝撃を受けた。そのサンカ(山家)と呼ばれる山人についての取材報告。
だがその前に、サンカについて流布された間違ったイメージの訂正のためにかなりな枚数が割かれている。amazonで検索すると出てくる著作の中にも、民俗学的に公正な取材に基づいて書かれた物でなく、なかば想像と創作によるものがある。どちらかというとその方が多いので注意。
わたしは最初、サンカは縄文時代の生活スタイルをそのまま続けている、アマゾンのイゾラドのような人々かと思ったが、著者は、サンカの人々が山に暮らすようになったのは、中世の飢饉がきっかけではなかったのか?と推測している。
本の最後に「サンカ民族の基本的類型」というまとめがある。外部の人間に分かる自分たちの記録を持たないため、誤解されやすい彼らのことを、公正に記録しておかねばと言う著者の気持ちというか決意がわかる。
サンカは家族単位で行動し、数家族が集団で移動することはない。
決まった回遊路を持つ。
生態系をよく知っているので乱獲はしない。
1ヶ所に長期間とどまらない。
またサンカは、交易相手である村人との信頼関係を大事にしている。
家族内での分業ができあがっている。
サンカ同士でヨコの連絡はとりあっているが(結婚式などで大人数が集まることがある)、タテの主従関係はない。
サンカは集団で1ヶ所にとどまらないなど、自然にダメージを与えない生業のスタイルをとっていたようだ。また、同業者同士で競合しないようにも気遣っていた。彼らのスタイルは、現代人が自然と接するときの手本になるんじゃないだろうか。
わたしが、山に持って行ってはいけないと思う物は、競争心だ。競争心とは、組織内において上位の者が部下を支配したりポテンシャルを上げたりするのに利用されるもの。重労働が課される農耕社会においては、有効だろう。
けど生産性が有限な山では競争は意味ないし、かえって自分たちの首を絞めることになる。山を利用するのはいいが、山を舞台に競争するのはよくない。山はそういう場所ではないから。その前提が分からない人は、いつまでも自然関係の団体とトラブルになるだろうな。