消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。......いや、上げなくてよい。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。......いや、上げなくてよい。 単行本(ソフトカバー) - 2016/10/24 栗原一貴  (著), 西田健志 (著), 濱崎雅弘 (著), 簗瀬洋平  (著), 渡邊恵太  (著), & 1 その他

出版社のwebページ
消極性デザイン宣言 消極的な人よ、声を上げよ。......いや、上げなくてよい。 | 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社

消極性研究会 SIGSHY

まあインターフェースの話なのですが、コミュニケーションを円滑にするには環境というかシステムというかセットが大事という話です。個人の能力は環境によって変わる。

わたしの母の年代の女性(80代)は車の運転ができない人が多いけど、50〜60代の友人や知り合いになるとかなりの人が自分で運転します。なぜかというと、その年代の人が運転免許を取ろうかと思う時期に、女性でも運転しやすい製品が流通し始めた(パワーステアリング、パワーウインドウ、オートマチック車)、道路の整備が進んだ(舗装、拡幅、ミラーの設置)、ロードサービスが完備された、などの理由で車を運転することの敷居が下がったためです。個人の運転能力が上がったのではなく、環境が整備されたことによります。今スマホが普及しているのも、インターフェイスが洗練されてきたからですね。

6人の著者がそれぞれの立場から、人の「消極性」と、消極的な人が何かに参加する場合に障害になることを取り除くデザイン=ヤル気のユニバーサルデザインとでもいうか???について述べています。

定番の事例の紹介では、Apple社のユーザインターフェイスについてですね。

無印良品のように、身の回りのモノ全てが自分の存在を主張しなくてもいいじゃないかというコンセプトの価値についても。(最近はあまりないけど昔は、ちょっと世代が上の地方在住の人に「無印良品のどこがいいの?」と聞かれることがあり、そのたびにうまく答えられなくて困ったなあ。)

飲み会の挨拶や乾杯の音頭を入札制にするなどおもしろいケースがいろいろ紹介されていたが、おっと思ったのは、回転寿司のシステムの素晴らしさ。お店に行っていきなり食べ始められ、目の前に来たものを食べたいか食べたくないかの2択なので、どれを食べようかと迷う時間を短縮でき、いつでも食べるのをやめられる。

UI GRAPHICS ―世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェイスデザイン 単行本 - 2015/12/17 水野 勝仁 (著), 深津 貴之 (著), 渡邊 恵太  (著), 菅 俊一 (著), & 6 その他

この本のタイトル「世界の成功事例から学ぶ」って、これを読んでも無駄にはならないわよ、だってすでに成功している例なんだからってことで、シャイハックの視点から見ると、タイトルですでに一歩引き込むのに成功している。

インターフェイスのデザイン界では、水玉のようなマテリアルのボタンが流行った時期があり、その後フラットデザインが巻き返した。それを私は単なる流行廃りだと思っていたが、そうではなかった。モノのメタファーからビットマップが解放されたってことだったらしい。

パソコンの操作はキーボードやマウスという物質のデバイスを必要とする。スマホの普及により、液晶を直接指でタッチしたり(タップ)、撫でたり(スワイプ)つまんだり(ピンチ)より直感的で身体と直接つながっている感覚のインターフェイスが一般的になった。操作性が上がっただけでなく、それはビットマップというコンピューター側の都合に人間の動作を合わせるという主従関係の逆転でもあった。

映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫) 文庫 - 2012/5 島田 裕巳  (著)

偶然同時期に読んでいた本。全くジャンルが違うが、気になることが。アメリカ映画で描かれていることの多くは、若者が成長する際に体験する通過儀礼についてであるという。著者は宗教学者。その例をスターウォーズとかまあいろいろ有名な映画について解説がある。

そして日本映画はどうだろうかということになるのだが、国民的ヒット作「フーテンの寅さん」は毎回オトナになりきれない、いわば通過儀礼の失敗例。小津安二郎の映画の登場人物の設定もそうで、親が心配で婚期が遅れていたり(とうか親が子どもの自立を阻む存在)。。。

著者は、日本人が大人になる過程は、劇的な事件により一線を越えるのではなく、時間をかけて徐々にゆっくりだという。。。シャイハックの目線からするとこの事実はどうなんだろうか?