日本人は何を考えてきたのか 昭和編 戦争の時代を生きる

日本人は何を考えてきたのか 昭和編 戦争の時代を生きる 単行本 - 2013/6/22 NHK取材班 (編集)

福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一 - r2 を読んで、この本を読もうと思った。

    プロローグに、福岡伸一が西田幾太郎に興味を持ったきっかけは、NHKの番組「日本人は何を考えてきたのか 第11回 近代を越えて〜西田幾多郎と京都学派」に参加したことだったとあった。その番組のテーマは、第二次世界大戦前夜における日本の代表的な哲学者たちの戦争責任についてだった。

学生時代に美学美術史の先生に言われたことを思い出す。
「哲学(美学)とは、楽しみであって、それで世界を変えるための手段では無いんだよ」
先生は、わたしが世界に対する怒りをもって哲学(美学)に接していると感じられたのかもしれない。

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三木清だけが二十世紀の戦争の現場を経験した。当時の首相東条英機も陸海軍首脳の多くも日米戦争の現場経験が無かった。戦争の現実を体験した人が指導層にほとんどいなかった。政治指導者も軍人も知識人も二十世紀型の戦争の難しさと恐ろしさを十分に想像できなかったのではないか。哲学者だけではどうにもならなかった。言論の自由がないのが致命的で、各分野の専門家・実務家と一緒に議論して日本の未来を構想していくことができなかった。そのような状況では沈黙していることが政治的には賢明だが、京都学派の人たちは一縷の望みを抱いてどうにかしようと飛び込んでいった。(植村)

世界を語る言葉が求められた時代に、言葉を政治利用に差し出すか、自重して普遍的な物として留めておくか、その判断が個々の哲学者に試された時代だった。西田本人は持ちこたえたが、弟子たちの中には積極的に言葉を時局の中で踊らせてしまった、あるいは巻き込まれてしまった人たちがいた。言葉を信じ、言葉を操るものとしての哲学者のスタンスが厳しく試された時代だったと感じる(福岡隆)

西田哲学は時代の激流に飲み込まれてしまった面があると思うが、「日本文化の問題」を読んで大事なことに気がついた。それは類希なる生命論がそこで語られているということ。西田は「全体」と「部分」についてその二つは同時的なものだと言っている。「全体」と「部分」が呼応しているというのは、現在の生命科学が直面している重要な問題。西田は、一つ一つの部品は全体でもあり、全体は一つ一つの部品でもあり、生命はある種の関係性のなかでとらえなければならないと言っている。これは非常に古くて新しい生命観。生命というのは「合成」と「分解」という一見矛盾することが同時に起こっている。西田の言う「矛盾的自己同一」がそこで起きている。こうした生命のあり方を「動的均衡」と呼ぶ。このビジョンがすでに「日本文化の問題」に書かれている。関係性や同時性、「全体」と「部分」の不断の連続性によって生命が成り立っていると。(福岡隆)

哲学とは何か。私たちには固定したものの見方がある。そのフレームに対して批判的であり得る「知」だと考える。従来の枠組みを越えて出ていく自由を持った学問。越えて出ていくためには、自分がフレームを持っていることに気づかなければならない。そのために大事なのは異なった考え方をする人との対話。東アジアに限らずアメリカ、ヨーロッパ、イスラム圏など様々な考え方の人たちが対話する場が出来上がってくればそれぞれが自分のフレームの限界に気づくと思う。そこから新しい哲学が生み出されていくのではないか。(藤田)

決められたこと、決まったように見えること、それは全てではない。もっと別なことがある、その外があるというセンス。それが非常に大切。(上田閑照)

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哲学の門から入るとよく理解できないことも、生物学の門から近づくと、それは結局こういうことなのかと理解しやすいことってあるのね。応用編(部分)を理解できて、初めて概論(全体)が理解できるという手順。哲学者がたどった道を一緒に歩いて到達点に着けるというか。

日々悩まされる些末な問題を背負って耐えながら生き、他人とそれについて話して共通することに気づき、ふーんこの荷物はそういうものなのだと問題が自分だけのものではなくなり気にならなくなった時、それを壊す言葉や出来事が現れ、自分たちが絶対と思っていた理は本当にそうなのだろうかと疑問が起きる。そのとき!未知の価値観に対応できる力があるか?その力を鍛える筋トレが哲学という学問なのかな。

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私は、911の報復でアフガン空爆〜イラク戦争が行われたとき、哲学や宗教に激しく落胆してしまった。全世界の良識ある人々(特に宗教界、学界)は報復行為が間違いであり無意味な殺戮がゆるされるわけがないと分かっていたと思う、なのにあのような行為が実行されるに至ってしまったとは。異文化を紹介することを生業とするナショナルジオグラフィックス社が黙っているのにも腹が立った。

悲劇が起きて、被害に会った当事者・当事国の悲しみ怒りの最中に、報復という手っ取り早い解決が採用されようとしているとき、それを諫める上から目線の情報を降らせるのは、多くの人にとって時期的に受け入れられないときもあるかもしれない。哲学・学問が人間にできることって何なんだろうか?

福島の原発事故が起こったとき、不遇に耐えて原発の危うさを啓蒙し続けた学者たちが再評価され、逆に政府寄りの見解の裏付けを提供していた学者は御用学者と罵られたが、あれから数年のうちに節電という言葉もきかれなくなり、事故のことも、あのとき怒りとともに語られたことも、すでに忘れられつつある印象がある。

戦前、戦時中に起こったことは、他人による愚かな行為、自分とは無縁の遠い出来事とは言い切れない。その後も学問が試される出来事は続いている。やっかいなことに、やって失敗してみなければ(部分)、本質(全体)にたどりつけない。悲劇を回避するにも、あらかじめ血を流さなければならない。またかたくなに真理(全体)だと思っていたことが、(部分)でしかなかったということもある。

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学問・哲学が、希望やみちしるべになり政治的に人々を導くという面もあると思うが、逆に、具体的に何の役にも立たずただあるだけという面もあると思う。むしろその方が多い。しかしそういうものの中に、過酷な人生のなぐさめがあると思う。「はー自分が悩んでいることは、そういうものか、みんなそうなのか」という。

わたしが今一番、宗教界、学界に頑張って欲しいと思うのは、老年期のあるいは人生の終末に関すること。日本の歴史上いや世界でも、名を残す人は大体早死だった。長生きした人も、今ほど高齢でなかったと思うし高齢者の人数も多くなかった。キリストも若死だったので老人の心はわからないままだったと思う。どうか名だたる宗教者・学者は長生きして、老年期にこそ頑張って、それも若い頃からの研究を続けるのはすっぱりあきらめて、老年期の心の研究をして世に発表してほしい。私の大叔母(シスターT)は宗教者としてキャリアのある人だったが、老年期の心の問題は当事者としては初めて対面することのようで大変だったようだ。若い頃の時間を支えてくれた宗教(価値の体系)が、ずっと老年期まで支えてくれるのか?「学問すること」がその人を支えていた場合、それができなくなった時、何が残るのか?

*このblogに出てくる私の大叔母は二人いて、どちらもカトリック信者でまぎらわしいので、イニシャルを付けました