ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か

今、イラクで捕まっている日本人の青年の姿をニュースで見ると、数カ月前には同様の事件で憤慨したり痛いと思っていた心が、今はそれほどでもなく、あの時と同じく今も自衛隊はイラクに居て、イラクの民間人は死んでいるのに、その報道に慣れてしまったということを思い知らされます。

世の中で起こっているもめ事をテレビで見るたび、「イスラム教徒とどうつきあいますか?」と言われている気がします。この本の著者は移民としてヨーロッパに移り住んだトルコ人(=イスラム教徒)とヨーロッパ社会との関係をドイツ、オランダ、フランスの3国で取材しています。

ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か
内藤 正典


ドイツでは、人口が減少して労働力が不足した時期に大量の移民を迎え入れ、のちにベルリンの壁が崩壊し東ドイツから安価な労働力が流入すると、今度は移民がじゃまになったという経緯があります。また「郷に入れば郷に従え」とばかりに、ドイツ社会に適応するよう強要するくせに、移民のトルコ人が言葉も教養も完璧にドイツ人のようになっても、ドイツ人として受け入れないという面があるそうで、日本と似てませんか?異質なものを徹底的に排除しようとするところ。移民2世として、生れた時からドイツで暮らし教育を受けても、ある日自分はドイツ人ではないと思い知らされる時が来て、強烈にムスリム(イスラム教徒)として覚醒する若者が多いそう。


オランダではドイツと対照的に移民の文化やコミュニティを受け入れ、参政権などにも差別はない。しかし、それは異文化を理解すると言うよりは、互いに無関心だから成り立っているともいえるそう。


フランスでは、人種や宗教によって差別はないが、それはフランス語を話しフランス流の啓蒙思想を持っている人に対してのみである。フランスではキリスト教に支配された時代があり、その後、宗教から人間が自由になって今日の社会を築いたと言う歴史がある。なのでフランスの社会では「政教分離」が必須なのだが、イスラム教とは、そもそも宗教と社会活動が一体になっていて、それらを分けるという概念そのものがない。

ムスリムにはフランス人が言う政教分離と言う考え方が理解できないし、フランス人はなぜムスリムが宗教と社会生活を分けて考えられないのかわからない。という平行線の対立がある。問題は「イスラム教:キリスト教」と言う宗教同志の対立なのではなく、「イスラム教という宗教による社会:脱宗教した世俗主義の社会」だという。両者とも同じなのは、自分たちの主義主張が唯一無二の正しいものであり、それ以外の道はあり得ないという信念。

フランスでは、学校で女の子がスカーフをつけるのを禁止するという事件がありました。学校とは子供を啓蒙主義に教育する機関です。そこに宗教によって抑圧された姿の子供が通うのは好ましくないというわけです。そこにはいろいろな経緯があって、スカーフを禁止すればムスリムの子供が学校に来なくなってしまい、結局啓蒙思想を学びフランス社会に同化する機会を失うから、禁止すべきではないとか、そもそもスカーフ着用の是非を法で決めるのは女性の服装の自由の権利に対する侵害だとか。著者は男性ですが、スカーフについて女性の視点からも詳しく書かれています。


ドイツ、オランダ、フランス、各国のムスリムに対する対応はそれぞれ違うのですが、共通しているのは、異質なものを排除してむりやり同化しようとすると、必ず反発が起きてかえって分裂、対立してしまうということです。人の持っている文化的背景を力で押さえつけることはできないのだなあと思います。

日本人はみんな同じじゃないと安心できなくて、自分たちと違う人に冷淡だったりしますが、派閥間の微妙なバランスをとったり、他人を思いやったりすることができると思います。将来、日本の少子化問題を解決するためにも、食べるのに困っている北朝鮮の人を何万人単位で受け入れるなんてことがあるかもしれません。