辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦 単行本(ソフトカバー) - 2018/4/5 高野 秀行  (著), 清水 克行 (著)

「ゾミア」「ピダハン」について語られていたそれぞれの元本を読んでから感想を書こうと思っているうちに時間が経ってしまった。

高野秀行氏が、「西南シルクロードは密林に消える」に書いたコースを、彼より先に体験していた日本人、吉田敏浩さんから聞いた話。「原始的な焼き畑農業も鍬などの鉄器が無ければ難しい。彼らは文明を避けているのでは無く、交易し文明と関わることで生きている」みたいなことを聞いたというのが記憶に残った。

秘島探検 東京ロストワールド

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NHKスペシャルご覧になったでしょうか?
NHKスペシャル | 秘島探検 東京ロストワールド第1集南硫黄島

ふだん鳥や虫に興味が無い、友人・知り合いの男子諸君に大ウケでした。

まさに!
鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。 - r2
を映像で見ているようでした。著者の川上和人さんも映ってましたね!

そして今夜は
NHKスペシャル | 秘島探検 東京ロストワールド第2集孀婦(そうふ)岩
が放送されます。「そうふいわ」じゃなくて「そうふがん」だそうです。後者の方がかっこいい。

知り合いがドローンパイロットとして取材に同行したそうです。「山階鳥類研究所の佐藤さんにアホウドリの生態を超絶感動的に解説してもらったり。。。」だそうです!うらやましい!!

女性画家列伝

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女性画家列伝 (岩波新書 黄版 318) 新書 - 1985/10/21 若桑 みどり (著)

有名医大の入学試験の点数に、性別によって一様に加点または減点されていたという事実が発覚した事件があり、単純に「ゆるせん!!」と怒りをあらわにする人々、「建前ではそうだが、過酷な医療の現場では女性は使えない」という人々、「じゃあさ、政府の働き方改革って何なの?」SNSは大賑わい。単純に考えると、
・今のままの体制を変えないために、女性医師を増やさない(それほど優秀でない医師に、がむしゃらに働かせる)
・女性医師の絶対数を増やして、医療現場を改革する(優秀な医師に適度に働かせる)
のどっちかだと思うけど。。。

わたしの大叔母は娘時代に先生について絵を習っていたが、お見合い結婚した相手は、大叔母が絵を描いていると女のくせに生意気なと殴ったという。それに耐えきれず大叔母は乳飲み子を置いて家を出た。都会でタイピストとして働き自立できたが、子どもを置いて出たことで自分を許せず苦しんでいたときにカトリックと出会った。大叔母は自分をゆるしてくれる、神(父の代理であり夫の代理でもある)を手に入れ、心の平安を得た。

この本は帰省中に母の書棚に若桑みどりの名前を見て、おっと思って読んだ本。12人の女性画家についてその作品と生い立ちと人物についての考察。画家という仕事も女性にとってはきびしい仕事。若桑みどりは、女性が画家になる条件として、父親の存在または不在が大きいという。父が娘の才能を理解し男性と分け隔て無い教育を与えた場合、または最初から父が居ず家父長制の圧力から自由だった場合。そして仕事を続ける条件として、家族の理解と協力、または家族の不在があったという。

女性画家は男性画家より少ない。では女性には創造性が無いのか?そんなことは無いですよね。一人でできる制作はむしろ女性の方が担っている場合がある。でも大人数でのチームワークとなると、女性は排除されがちと著者はいう。

縄文人に相談だ

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縄文人に相談だ (縄文ZINE Books) 単行本 - 2018/1/24 望月昭秀 (著)

「ブログのせいで睡眠時間がありません」−>「ブログは現代の貝塚です」みたいな相談と回答がいっぱいのってるわけですが。。。ニヤニヤしながら読んでいるうち、ウッときたページがあった。
相談「植物をすぐに枯らしてしまいます」
回答「鉢植えとヒトは対等な関係です。言いにくいのですが、上から目線になっていませんか?」というページ。「。。。ヒトは自然との付き合いによって生かされている限り、逆に生殺与奪権は森にあると言っても良いのです。たかが鉢植えと思うかもしれませんが、鉢植えの背景には森が控えているのです。」(p24)という言葉がズーンときた。

Websta終了?

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Instagram API仕様変更・終了・廃止関連の情報まとめ。インスタの写真をWebサイトで直接表示していた方は要注意! | Arrown

このblogの右側のずーーっと下の方にひっそりとあった「instagram」パート。スマホ向け写真アプリのinstagramのデータをwebページやblogに埋め込む機能(コードの提供)が終了のニュース。4月からだったんですね、気がついていませんでした。Facebook社の個人情報不正流用事件の影響でしょうか?

2018/09/29
今日久しぶりにblogを見ると、表示だけはされてるんですね。

ウエストワールド

【ワーナー公式】海外ドラマ|ウエストワールド<ファースト・シーズン>

アマゾンビデオなんですが、トラウマ系で誰かに語らずにはいられなかったので。ネタバレになるので詳しくは書けないのですが。。。

バーナードの悲しい記憶について、フォードが説明するシーン。人格の連続性・魂の核になる記憶が必要で、それは悲劇的であるほど有効。。。ってのに、なるほどなーと思いました。

また、共同体が過去の悲劇を共有するというのは、本来は架空である集団を維持するための「装置」でそれは様々な作品のテーマになっているけど(キリストの受難とか)、個人レベルでもそうなのかあと。個人が一生物としての自意識を維持していくための活動が娯楽作品のテーマになる時代(ボーンアイデンティティとか)「悲しい記憶」を忘れられないのは、自分が自分が自分であることを忘れないためでもある場合があるかも。

亡き義母は「わたしは最初の子を亡くしてから涙が涸れるまで泣いたから、今では毎日笑って過ごしてる」と言っていたけど、あるとき「わたしの誕生日は死んだ子の命日に近いから、めでたい気持ちにはなれない」と打ち明けてくれた。悲しい記憶を持っている人は、そうで無い人より、認知症になった場合、人格を維持できる可能性が高いのか?

この設定のドラマは、地上波の放送前提の制作はありえんやったやろうなと思います。神への冒涜というか反宗教的ってことで。

この第1話を見て、これ日光江戸村やと思いましたが、最終話で次シーズンの設定を予感させるものがチラッと見えて、えっと驚きました笑。日本は宗教無いからできるよねーと思いました。

おらおらでひとりいぐも

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おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞 単行本 - 2017/11/16 若竹千佐子  (著)

スマホアプリ「ラジオクラウド」で番組をブラウズしていて、IBC岩手放送の「BOOKナビ」という番組が目に留まり聴いてみた。その回は、第158回芥川賞受賞を受賞した作品の著者(岩手出身)が出演していた。その著者の人柄が味わい深くて、この本を読もうと思ったのだけど、図書館の予約100人待ち。そこで、単行本になる前の掲載雑誌を借りようとしたが、それも貸し出し中だった。こういうときは大学図書館。大学生は本読まないからね。茅ヶ崎市図書館と相互利用できる大学図書館に行って、掲載誌を閲覧、30分ほどで読了。

夫を亡くし独り暮らしの老齢の主婦、が冒険するでもなく第二の人生で活躍するでもなく、普通にこころの内を語る。軽やかで自由で読んだ後ほっこりする。これは私小説ではなく、作者の創造によるもの、というのが二度驚き。

福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一 単行本 - 2017/7/7 池田善昭  (著),‎ 福岡伸一 (著)

プロローグで、カズオイシグロと話したエピソードが出て来る。福岡伸一が考える「動的平衡」をカズオイシグロの小説のテーマである「記憶」に関して説明する。ヒトの細胞が新陳代謝によりすっかり入れ替わっても記憶だけは保たれるように見えるが、記憶も実は不安定なものであると。カズオイシグロは「記憶は死に対する部分的な勝利といえますね」と言ったそうだ。最近「忘れられた巨人」を読んだばかりなので、ふーんと思った。

わたしは西田幾太郎の本を読んだことは無いが、ダーウィニズムに相対する考え方の本をずっと読んできた気がする。それが西田幾太郎の哲学とどう関わるのかはわからない。福岡伸一が、西田の著書を福岡流に対訳してくれているページがあり、それは理解できた。共著者の池田善昭の年輪を使った理論モデルは全く理解できない。それは間違っているとさえ思う。そのページ以後、池田善昭の言葉は時間の無駄な気がして読み飛ばした。

環境と生物の逆環境を説明するなら他にいくらでもモデルがあると思う。丹沢から海まで海水を飲みに通うアオバト。アオバトが海まで飛んでこられるのはつながった緑地帯があるからだが(そういう環境がアオバトの生息を限定する)、アオバトが食べて排便した樹木の果実に含まれるタネによって緑地帯が維持される(アオバトが環境を限定する)など。

2011年3月の事故以来、原発に関する本を読みあさった。最初は手当たり次第、だがだんだん本のテーマは2つに分かれていった。一つは社会的な分野。エネルギー政策、地方自治、国際政治、外交などの分野を読んでいくと、占領・戦後処理の問題にたどりついた。

もう一つは科学技術に関する本、最終的には科学論というか、パラダイムについて考察する本にたどりついた。学生時代に、助手の先生と話していて私が「科学しか信じない」というと、「しかしその科学も言葉によって定義され語られる」と返されたのを思い出す。

最終的に社会学と科学論、両者とも人類学という分野につながる気がした。

プロローグに、福岡伸一が西田幾太郎に興味を持ったきっかけは、NHKの番組「日本人は何を考えてきたのか 第11回 近代を越えて〜西田幾多郎と京都学派」に参加したことだったとあった。その番組のテーマは、第二次世界大戦前夜における日本の代表的な哲学者たちの戦争責任についてだった。

日本人は何を考えてきたのか 昭和編 戦争の時代を生きる 単行本 - 2013/6/22 NHK取材班 (編集)

思いついたことをとりとめなく書くが

梅棹忠夫がエッセイで、自分の中に2種類の人間がいると述べていたのを思い出す。一人は外国へ出かけて狩猟をするようにサンプルを集めるのに没頭する自分。もう一人は書斎に籠もって収集物を分類することに熱中する自分。わたしも野外でいろいろなものを見ることを楽しみ写真を撮る(狩猟)ことと、写真や音声データをデータベース化する(分類)のに集中するときがある。どちらも楽しく苦しい、その時は時間を忘れる。

日本人はお稽古事などの修行をしている間、過剰な自意識を消すことができる。むしろ自分を消す為に習い事に熱中する。と、アメリカ軍の情報部に属する人類学者は分析した(菊と刀)。第二次世界大戦前に日本国内でアジアを占領支配する正当性を謳う宣伝に使うためアジアに特有の(いや日本だけだと思うけど)哲学を研究していた、ほぼ同時にアメリカ軍の情報部が占領目的で日本人のメンタルを分析していた、その内容に共通するものがあるって面白いな。

日本人の著書にダーウィニズムに批判的なものは多いと思う。それが西田哲学と関係あるのかどうかはわからない。けど風土的に、白黒はっきり、勝ち負けきっちりという価値観は持ちにくい感覚は自分にもすごくある。喧嘩両成敗とか大岡裁きとかいう言葉もあるし。

最近、スポーツ番組のポッドキャストを聞いていて、日本人のメンタルにはスポーツにおいてどんな手を使っても何が何でも勝つという厳しさが欠けていると、それはドーピングが少ないという事実とも関係しているが、近年そうとも言えなくなってきた、という言葉が耳に残った。自転車競技のファンならドーピングの闇をある程度は知っているが、多くの日本人は日本人選手ならクリーンでしょと思っていると思う。ていうか、スポーツの世界にドーピング文化が深くあることを知らない人が多いのでは。日本もそのうちドーピング大国になるんだろうか?

エピローグで福岡伸一が「つちはんみょう」を紹介してくれているのに感激した(わたしは「つちはんみょう」の著者とは何の縁も無いが)。
つちはんみょう 単行本 - 2016/4/13 舘野 鴻 (著, イラスト)

忘れられた巨人

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忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) 文庫 - 2017/10/14 カズオ イシグロ  (著),‎ Kazuo Ishiguro (著),‎ 土屋 政雄 (翻訳)

読んだよ、やっと読んだ。長かった。この物語で描かれる7世紀のブリテン島におけるブリトン人とサクソン人の対立は、ユーゴスラビア解体後の民族紛争とか、イスラム教の宗派対立とか、ツチ族とフツ族とか、日中戦争の記憶とか、読む人にいろいろなことを想起させると思うけど、わたしが最初に思い出したのは、認知症になった義母と介護をしていた義父のことだった。これを読み始めたのが偶然、義母の葬儀で帰省する飛行機の中だったということもあると思うが。

義母は認知症の初期の頃、あたしはなんでこう物忘れがひどくなったんじゃろかあ?、なんでじゃろかあ?そればっかり考えとるよ、と言っていた。誰でも年を取ると罹る病気でお義母さんのせいじゃないです、と言っても納得せず、何か原因があって、それを取り除けばまた記憶が蘇るのではないかと思いたかったようだった。

義母の記憶が退行するにつれ、可愛がっていた姪が若くしてガンで亡くなったこと、親しくしていた姉たちが病気で先に他界したこと、まだ小さかった長男を診療ミスで亡くしたこと、など義母にとっての悲しい記憶が薄らいでいった。それを私たちは、その事に限っては不幸中の幸いと思っていたが、しかしあるときふと、昔の義父の行動に対する怒りがポツンと浮上し蘇るときもあった。

わたしの祖母は「人は許すことは出来る、けど忘れることは出来ないんだよ」と言っていた。「あのときああだったから、もしかして今度もそうなんじゃないかと思ってしまうものなのさ、信用っていうのは一度無くしたらもう取り戻せないものなんだよ」と。

じゃあ忘れることができたらどうなんだろう?過去のトラウマをリセットできたら?トラウマ恋愛映画入門にもあった、「エターナルサンシャイン」はその実験をやったストーリー。この小説「忘れられた巨人」も映画化されたら「トラウマ恋愛映画」に堂々ランクインできると思う(わたし調べ)。

ベストセラーの片付け本「人生がときめく片づけの魔法」によると、モノを捨てられないのは、過去への執着と未来への不安があるからだという。よく知らないので間違っているかもしれないが「断捨離」も過去への執着と未来への不安を捨てることのような気がする。自分の意志で執着を断つということは、反面過去に執着していたという記憶を持ち続けるということで、でなければ断捨離したという自覚が保てずライフスタイルを維持することは出来ない。竜の息や病気など外部の要因で知らない間に記憶が無くなるのは「記憶が盗まれた」のであって断捨離とは言わないね。失敗の記憶を持ち続けなければ、また同じ失敗を繰り返すし。

義母に初めて会ったとき、「あたしは最初の子が4歳の一番可愛い盛りにその子を病気で亡くしてねぇ。泣いて暮らしたけどもう涙は涸れ果てた。だから今は毎日楽しく明るく暮らしとるとよ」と語ってくれた。涙が涸れ果てたという記憶が無くなり、長男を亡くした事実のみを後に知らされたら、また最初から悲しみと向き合う儀式をしなければならないのだろうか?

義母の認知症の進行とともに、義父が家事を引き受けるようになり、家事は義母のやり方から義父の自分のやり方に変化していった。義父は義母の影響から少しずつ放たれていくようにも見えた。どの夫婦でも、本来の自分の好みを相手に合わせているうちにそれが普通になっているが、相手の影響がなくなると本当は好きだったもの、キライだったものを思い出すことってないだろうか?

義父は義母が介護施設に移った後も、毎日会いに行っていた。義母が病気の苦しみから解放され安全なお墓に入り、義母のためにすることが無くなって、義父は義母のことを少しずつ忘れていくのだろうか?義父は一人になったのが寂しいという。でも義母に帰ってきて欲しいとは思わないようだ。

わたしは義父が義母への思いやりから遠慮していた様々なことを取り戻してほしいと思う。義母は自身の功績は無いが間違いなく偉大な人だった。義父が義母と出会い過ごした時間、授かった子どもたちと孫はかけがえのない価値のあるものだとは思うが。今は好きな時に好きなことをして、義母と出会う前の自分を思い出して、自由に生きて欲しいとおもう。もしも義父が先に旅立ち、義母が残された場合でも、義母に同じように思っただろう。

義母が認知症の初期の頃、義母と台所に立ち、わたしがお刺身を切っているのを見た義母が「あんたの切り方はあたしと一緒じゃねえ!」と驚いた。「そりゃそうですよ、昔お義母さんに習ったんだから」という言葉を飲み込んで(そう言うと義母が混乱するので)「そうですか?偶然ですね」と言いながら、さみしさに涙がでそうになる、次第に知らない人になっていく義母との、そんな小さな別れの繰り返しがあった。

別れは必ずやってくる。猫のシャミを亡くしたとき、シャミはもう居なくなったのにまだ居るかのように暮らしていくのはいやだった。しかしシャミのことをすっかり忘れて全く新しい暮らしに向き合うのもいやだった。当時、私の心は尾根道を歩いていた。外輪山の内側をなつかしくのぞき込み、明るく遠い平野を眺めながら。両サイドからの風を感じどちらへも落ちないようバランスをとりながら。

忘れないけど、トラウマから自由になる。それができたなら。

個人的な記憶の問題はさておき、民族や国家間の問題なら解決方法はある。それは教育だ。カズオイシグロの前作「わたしを離さないで」のテーマの一つは教育だったと思う。主人公の子たちの過酷な運命を変えたくて、心ある教師たちが教育を与えるが、それが逆に彼らに「運命を受け入れる」ことをも教えてしまう。あの子たちはなんで逃げたり逆らったり抗議したりしないのか?それはそう教育されたから。高校3年間を進学校で過ごしたわたしにはよくわかる。のちに、もしかして自分は親や教師にだまされていたのか?と気づき、教師もよかれと思ってしたことが結局生徒を不幸にしたのではと苦い気持ちになることがあっても。

ここまで書いてふと思う。愛やいたわりは、死や過酷な運命への抗議であり戦いであると。現実には容赦なくその時は来るが。

そういえば、「わたしを離さないで」と、この「忘れられた巨人」の間に短編集の「夜想曲集」というのが出版されている。これも苦く味わい深い恋愛小説だった。

トラウマ恋愛映画入門 (集英社文庫) 文庫 - 2016/9/16 町山 智浩  (著)

エターナル・サンシャイン DTSスペシャル・エディション [DVD] ジム・キャリー (出演),‎ ケイト・ウィンスレット (出演),‎ ミシェル・ゴンドリー (監督)  形式: DVD

人生がときめく片づけの魔法 単行本(ソフトカバー) - 2010/12/27 近藤麻理恵 (著)

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (単行本)

以下ネタバレ
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アーシュラ・K. ル=グウィン

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アーシュラ・K. ル=グウィンが亡くなった。初めてのアーシュラ・K. ル=グウィンは高校生のときの「闇の左手」。働き始めたころに読んだ「所有せざる人々」など。

ファンタジーやSFを読むには、それに適した年齢というのがあると思う。「ゲド戦記」とは、まだ小さい甥と姪に送る本を選んでいるときに出会い、その時私はもう大人になっていたので、面白くは読んだけど、私の心はすでにいろいろなことで埋まっていた。

甥と姪に「ゲド戦記」を買って送ったのは、この子ども向けの本を読んで著者のことをおぼえていれば、将来他の本も読んでくれるかもと思って。甥と姪はその本を読んだのか?さえも今はわからないが(彼らの母親である妹(5歳年下)は読んでおもしろかったと言っていた、送った第1巻のつづきの第2巻は女の子が主人公で(ジェンダーの問題を扱っているので)読んでと言ったが、その後妹が自分で本を買って読んだかどうかきいていない、わたしが買って送ればよかった)。

子どものころにSFを読むのって大事だと思うけど、わたしが子どもの頃学校の図書館にSFはなかった。

2006年のエッセイ「ファンタジーと言葉」の中に、著者はこどものころ、学校の図書室の本を全部読んでしまい、読むものがなくなったので、毎週末弟と二人でバスに乗って隣町の図書館まで通っていた、というエピソードが書かれていた。それを読んでわたしは子どもの頃の自分に会ったような気がした。わたしも小学生時代、毎週末一人でバスに乗って県立図書館に通っていたから。わたしの周りにそんなことをしている子はいなかった。たぶん自分は変わり者なんだろうと思っていた。

アーシュラ・K. ル=グウィンの父親は人類学者だったらしい。なるほどなあ。(今思い出して、祖母の文机にいつもあった本を眺める「草木虫魚の人類学―アニミズムの世界」(岩田慶治 1973)という本)

わたしは単なる読者でしかないけれど、喪失感が大きいのは、彼女の著書が若い頃のわたしの心を作る材料を与えてくれたからだと思う。どうしてだか、勝手に同年代の人だと思っていた。

犬・猫・そしてダンサー - r2