二十代の頃、フリーマン・ダイソンの息子、ジョージ・ダイソンについて書かれた本「宇宙船とカヌー」を読んで、その生き方に激しく憧れた。(憧れというのは、そういうことは自分には無理だというあきらめでもある)図書館でふと背表紙のお父さんの名前を見て、そういえば、息子さんお元気ですか?というノリで借りて読んだのだ。
第1章目は、科学技術と失敗の話。かつて、帝国主義というイデオロギーによって後押しされ保護された技術は、国家の威信が掛かっていたため失敗が許されず、結局無理がたたって大惨事を起こした例がある。技術が競争にさらされ、小さな失敗を重ねながら淘汰されて行けば、それは安全な技術となる、という話。
地球に衝突しそうな彗星の進路を変える装置とか、ジョージが今どんな人になってどんな仕事をしているか、とかの話をはさみつつ、第5章は倫理について。「この何十年かの間、科学が貧しい人に恩恵をもたらすことに失敗してきたのは、二つの要因による。純粋科学者が人類が抱える俗世のニーズから縁遠くなったこと、応用科学者がますます目先の利益にとらわれるようになったこと。」
(以下要約)
核軍備競争が終わった今、人類社会を襲う新時代は3つ
1.情報社会
2.バイオテクノロジー
3.ニューロテクノロジー
この3つの技術を理解し制御する人は富と権力を得、古い技能を持った人を無用にしてしまう。富の分配の不平等を拡大する傾向を持つだろう。
一方、人類の貧しい人びとは誰でも利用できて高品質で安い、家・医療・教育の3つを必要としている。未来社会の問題は、3つの新しい技術と、3つの基本的なニーズとのミスマッチである。技術が貧しい人のニーズを無視し、一部の人にのみ恩恵を与える限り、貧しい人びとは技術の圧制に対して反逆し、非合理で暴力的な手段に訴えるだろう。そして過去にそうだったように、将来においても、最も貧しい人びとの反乱は、貧富を問わず人びとを貧しくするだろう。(この本が書かれたのは1997年)