レオナール・フジタ展
修復が終わった幻の大作と、晩年に焦点を当てた展覧会。今回のドヒャー!は、宗教画としての地獄絵。「ヨハネ黙示録」。それを見たとき、前に見た地獄絵を思い出した。
いつだったか、国立近代美術館で日本の近代絵画の大回顧展があって、日本の至宝の絵画が一斉に陳列された。その際、美術界でタブーとなっていた「戦争画」というジャンルが初めて公開されたのです。有名な画家が当時の政府に協力して描いた戦場の絵。
「近代日本美術の名作−100年の軌跡」所蔵作品による全館陳列
この構成中、戦前と戦後に挟まれている「�社会の中の芸術家」というのがそれだったんじゃないかな。小磯良平などはどんなテーマでも小磯良平だったが、藤田嗣治のは見た事がない画風で驚いて記憶に残った。これが本当に藤田嗣治?
南の島で一般人、女性や子どもたちが集団自決している「サイパン島同胞臣節を全うす」。181*362という大画面の前に立つと、自分がその絵に吸い込まれるというか、その場に居るような錯覚に陥る。火薬の匂いで鼻の奥がつんとなる感じ。運命に翻弄される人々の断末魔の叫びが聞こえてくるようだった。
同時期の作品「アッツ島玉砕」↓
第7回「戦前」と「戦後」は断絶しているのだろうか?:社会メディア論 II
「藤田嗣治「異邦人」の生涯」によると、藤田はその題材を、芸術として描く事に熱中した。巡回展示された地方で、絵に手を合わせて拝んでいる人たちを見て、ふだん芸術に縁のない人の心をそれほどに動かした事に、自分でも驚いたという。
フジタは若いころ、西洋美術の真髄を理解すべく、毎日ルーブルに通って、古代〜中世〜ルネサンス〜とあらゆる絵画を研究したらしい。
フジタの目には、西洋絵画にいやというほど出てくるテーマ「キリストの殉教」「最後の審判」の図が焼き付いていたのでは。そして自分も過去の大作家と同じように、画家としての究極の仕事「最後の審判」の場面を描かなければならないと思っていたんじゃないかな。キリスト教徒でない日本人の自分は戦争画によって。。。
きっと戦利品の美術館であるルーブルの呪いにかかってたんだと思うな。
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フジタは、非常に勤勉で、酒も飲まず賭事もせず、ただただ絵を描いていたらしい。制作の時間を確保するのを怠ることを戒めるため、手首に腕時計の入墨を入れていたそうだ。アトリエでの写真を見ると、そんなフジタを休ませようと「生産効率低下委員会」が盛んに活動しているのがわかる。膝に乗ったり、スケッチブックの上に寝そべったり。しかし彼らの活動も、フジタのいっそうの制作意欲をかきたて、裏目にでてしまったようだ。
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フジタが晩年を過ごしたパリ郊外の家は、インテリア雑誌に載っていそうなカントリースタイル。そのオシャレなキッチンの隅に、なにやら見慣れた白いモノが。。。電器炊飯器でした。:)