キャリアポルノの同系列のものとして、フードポルノというのがあるらしい。なるほどねえ。食べ物ネタにはみな食いつくものね。一時話題になった「普通の家族がいちばん怖い」に出てくる、クリスマスなどイベントの料理はがんばるけどふだんの食卓は崩壊してる例などは、これにあたるのかな?あれは、地産地消や食育について、とうとうと語る人の、現実の食卓を写真で記録してみるとけっこうジャンクで、言ってることと、やってることのギャップがおそろしい、しかも本人がそれに気づいてないのが、さらに怖いというものだった。うちだって、テレビで豪華料理番組を見ながら、質素な食事してたりするしなあ。
人気エッセイストの内田樹がblogに「わたしが講演で話すことは、政治家とか会社の社長さんとかが関心を持つような内容だが、それを普通の人々が喜んで聞きに来る今の世の中はどうなのか?」と書いていたのを思い出す。あたしのこと?これもポルノの一種か?
この本はこの記事が元になっている(この短い、気合いだけで書かれたような原稿から1冊出来るとはどんな水増しかと思いきや、よく調べているし、読みやすい文章)。twitterで松井博さん(保育園経営者)の「自尊心の低さ」から生じる問題についてを読んで、この本を例に出していたので読んでみました。
キャリアがどうのこうのなど、わたしの人生にはかすりもしない話題なのだけど、著者の書いていることには共感する部分もある。わたしもイタリアで衝撃を受けたことがあるので。たった2週間のパックツアーだったけど、確実に自分の中で何かが変わった。いや、変わってはいない、けど、自分の姿が見えたというか。。。今思い出すと、イタリアを訪れてカルチャーショックネタは、けっこうあるのですけど。映画「眺めのいい部屋」とか、「旅愁」もそうかな?
のちに読んだ本(「日本人の行動パターン」ルース・ベネディクト)に「日本人は属する組織の役に立つことを生き甲斐と思っていて、個人の幸せなど見下している」とあって、この日本人とは太平洋戦争前の日本人のことだけど、そうかあとも思ったことがある。それには、自分は人の役に立つという勝手な思い込みが、周りにおよぼす害悪にも書かれていた。ひとたびその幻想が他人に受け入れられないと、キレて凶暴になると(大東亜共栄圏)。
世界観には2種類ある。ひとつは有限で丸く完結している世界。丘の上の中世都市。島国。長期にわたる持続的な人間関係が生活手段と身分を保障してくれる。地元主義。足るを知る。安心とあきらめの世界。体が大きく力の強い者が有利。外部には冷たい。
もう一つは、平行なグリッドが無限に伸びる世界。唐の都長安やロスアンジェルスのような。ユニットが足されることで節操なく無限に拡大していく。際限ない消費行動。流動する人間関係、競争社会。足下の現実はあまり見ず外部にある理想を求める。不安な精神状態。エトランゼ、王道でない人材にもチャンスがある。
その見方を、わたしは若桑みどりの著書で知った。今人気の歴史学者は、それを中国的 vs 江戸時代的 と言っている。これは観念的な世界の解釈方法で、現実の大半はその中間のどこか、それも連続しているグラデーションの目盛りの上をスライドさせている感じではなく、粉と水をボウルに入れてかき混ぜてところどころダマが残る状態なのだけど。