白蓮れんれん

白蓮れんれん (集英社文庫) [文庫] 林 真理子 (著)

朝の連ドラ「花子とアン」を大分で見ているとき、母が「あら、この人はあの白蓮のことかしら?」と言った。へえそんなに有名人なの?そしてラジオのポッドキャストで、町山さんが「白蓮は実はスゴイ人」と言っているのを聞いて、町山さんが推薦していた本を読んでみました。この本は白蓮の前半生を題材にした小説ですね。しかし何事も大事なのは「その後」です。それについては

恋の華・白蓮事件 (文春文庫) [文庫] 永畑 道子 (著)

の方に詳しく書かれていました。あのお姑さんは実はカッコイイ人なんですよ。白蓮さんの生い立ちが、わたしの祖母と似ているところがあって(貴族なんかではありませんでしたが)わたしは数奇な祖母の人生をいつかは物語に書いてみたいと思っていましたが、おばあちゃんだけじゃないんだ、昔はけっこうこういうことがあったのかも?という気がしてきました。

・祖母の実の母親は芸者かどうかはわからないが「家風が違う」という理由で結婚できなかった
・祖母は生まれてすぐ母親から引き離され、父親の妹として入籍、父親の家族に育てられた
・そのことを成人するまで知らされていなかった
・出生の秘密を知ってしまいそのショックで祖父と駆け落ち
・実家とはそれ以来音信不通
・女学校時代が楽しい思い出
・古典文学と俳句が生きがい(わたしの初めての図鑑は祖母の俳句歳時記)

林真理子の小説の中で、女学校と言えば三輪田じゃないの?という箇所があり、そこおばあちゃんの母校だよ!と膝を打った。子どもの頃、祖母が自分の娘時代の話をしてくれたのですが、文学の先生が何でも小さいものが好きな先生で、背の小さかった祖母をとても可愛がってくれたとか、そしてあたしが通っていたのはミワタという女学校とたしか言ってた。へーそんな名前の女子校きいたことないけどなあと思っていましたが。

祖母は祖父と駆け落ちしてから、不幸ではなかったけれどまあ生活はけっこう大変だったわけで、いろいろ苦労がありました。晩年は地域の老人会で、初めて世間様とのお付き合いではない、純粋な友人ができました。もしかして女学校以来だったのではないかと思います(文通していた俳句友達をのぞくと)。あるとき、近所に住む老人会のおともだちのご婦人が訪ねてきて、祖母の部屋で語らいました。わたしがお茶を持って行くと、ふすまの向こうから「あたくしね、こんなものを集めているのよ、なんてことない石ころなのだけど、よかったらご覧になって、なんならお好きなものを一つおとりになってもよくってよ」という声が聞こえてきた。ぎゃー今まで祖母だと思っていた人は誰だったのか!そのおともだちはどうだったんだろ?女学校言葉で話しかけてくる老女をどう思っていたんだろうか。


いつか祖母のことを書くために、老齢の親戚と話すたびに、思い出したくもないことを根掘り葉掘りきいて、鬼のように取材している人でなしのわたしですが、意外な事実を聞かされて、えっ?と不思議な気持ちになることがあります。

・わたしが上京して最初に住んだ場所、行徳は、祖母も顔を知らない実の母親の出身地。住んでいたときは知らずにいたけれど、もしかして遠い親戚が近所にたくさんいたのかも。

・祖母が出生の秘密を知って家族とうまくいかなくなったとき、祖母の叔母がしばらく面倒をみてくれた、その家は江ノ電の湘南海岸公園駅の近くで境川のほとりにあった。そこで祖父と出会った(祖父は祖父で家庭に問題があり難しい人でした。しかも実は祖父と祖母はいとこ同士という、ええもうダメダメな一族ですトホホ)。戦後に祖母とその家を訪ねたことがある父によると、当時の駅名は片瀬駅だったそうです。

湘南海岸公園駅の横を通って江ノ島水族館の前に出てくる道は、藤沢から134号線に抜けるときよく通る道。不思議となつかしい気持ちになる好きな道です。その家は境川が拡張されてもうありませんが、そこに若き日の祖母が自分の出生やこれからの人生について悩みながら滞在し、たぶん海岸に出て今と同じ海と夕焼けを見ていたのかと思うと、ほんとに縁って不思議だなあと思います。

ああ、またおばあちゃんネタになってしまった。お盆ですからいいですよね。