みんな彗星を見ていた-私的キリシタン探訪記-

みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記 単行本 - 2015/10/6 星野 博美  (著)

わたしは以前3ヶ月かけて、若桑みどりの「クアトロ・ラガッツィ」を読んだことがある。日本人の統治者が残した内側から見た日本史ではなく、バチカンに残る資料から見た日本の戦国時代と世界の情勢が書かれていた。それはアジア各地への入植を進めるポルトガル王の後ろ盾で派遣されたイエズス会という修道会の報告だった。キリスト教の主派カトリックにも様々な下部組織がありイエズス会は支配階級の軍人出身が多かった。彼らは自分たちと同じ階級である戦国武将たちと話が合うことを利用し、まず大名たちを説得しトップダウン方式で布教した。「クアトロ・ラガッツィ」はイエズス会の巡察師によるローマへのレポートを若桑さんが翻訳し読み解く仕事の過程を同時に体験するような、ドキュメンタリーのような作品でもあった。上下巻の大作で、読み終わった後は旅の仲間と別れるようなさみしさを味わった。

今回読んだこの「みんな彗星を見ていた」は、同じ時代を扱いながら主にイエズス会の後に来て一般の農民に布教した、托鉢修道会といわれ清貧を説くフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会も含む神父たちと日本人信徒の殉教の話。発端は2008年に著者が四谷の書店であるポスターを見たことだった。昔日本で殉教した信徒が福者(準聖人)として認められる式が長崎で行われるという。その中に1633年に殉教したクアトロ・ラガッツィ(天正少年使節の4人)の一人、中浦ジュリアンの名前があった。今になって?不思議に思った著者は調べ始めた。

フランシスコ会の資料は少なく著者は古書店で大枚払って資料を手に入れる。長崎のキリシタン殉教の地へも足を運ぶ。が、田舎なので交通の便が悪く大変な思いをしたのを機に運転免許を取る決意をする。五島列島の合宿免許教習所で!若い子たちが次々と卒業していく中、著者はなかなか試験に受からず。。。このくだりは別の一冊になっているらしい。

著者が天正の少年使節もローマで演奏したであろうリュートという楽器を習い始めたこと、信者ではないがミッションスクールに在籍していたこと、香港に留学して広東語を学習していた際同じ目的の外国人修道士・修道女たちと交流があったこと、などなどが合間に挟まれる。弾圧と殉教の時代と、著者が生きる現代と、2つの時代がパラレルに語られ、ときに交差し、遠い昔の出来事がふと目の前に現れる感じがする。同じテーマを扱いながら今回は「クアトロ・ラガッツィ」の時のように本を読んだ後で現実に戻るという作業がなかった。読んでいるときから現実と過去がつながっていたので。この作品はダークツーリズムの名作だと思う。

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キリスト教の布教を許可した信長が死に、秀吉や家康が禁教令を出すと、エリート出身のイエズス会の神父たちは出国した者もいた。しかし托鉢修道会の神父たちは、農民の信徒から離れなかった。なぜならカトリックでは定期的に罪を告白し許されなければ救われないまま死んで天国に行けなくなるので。高山右近のような権力者は移住もできるが、土地から離れられない農民の信徒にとって神父がいなくなるということは大変な事態だった。

地下に潜って活動を続けた神父たちは結局摘発され見せしめのため処刑されるが、殉教者の肉体や衣服は奇跡を起こすと偶像礼拝の対象になるため、当局の思惑とは反対に、ありがたい殉教の場面を見ようと、あわよくば何か所縁のものを手に入れようと信徒たちが群がった。その辺は著者も違和感をおぼえ、当局も嫌悪しさらに弾圧に拍車がかかる原因になったのではと書かれている。のちには、殉教者出さないためただ牢に閉じ込めておくことになったという。
鈴田牢 - Wikipedia

あれ?最近そういう言葉を聞いた。テロリストを殉教者にしないよう死刑にはせず隔離しておくという。。。殉教、宗教弾圧、は今もありyoutubeで凄惨なビデオが公開されていたりする。この本のあとがきにも書かれていたが、国際的にテロリスト集団とされている組織が見せしめに首を切るような凄惨な動画がネットにアップされて、それをわたしたちは(わたしは見ないが)うへーなんちゅうことを!あいつら人間じゃねえなどとつぶやくが、江戸時代には同じことが日本国内で大々的に行われていた。

さらに今回この本を読んで初めて知ったが、キリシタンへの弾圧は安土桃山〜江戸初期という遠い時代にのみ行われていたわけではなかった。明治になって外国人が居留地に教会を建てることが許された一方で、キリスト教禁止政策は続いていた。外国人神父が浦上に建てた教会で祈っているときにおずおずと隠れキリシタンが近寄り信仰を告白したときの驚き、信徒発見のニュースがローマまで届きカトリック世界に驚愕と喜びが走った一方で、その信者たちは禁教令に反した科で流刑と拷問にあっていた。(3394名が流刑にされ、そのうち拷問による殉教者は611名)
浦上四番崩れ-明治の初めにもあったキリシタン迫害
浦上四番崩れ - Wikipedia
ISISがイスラム教に改宗しないキリスト教徒やヤジディ教徒たちを拷問虐殺したのと同じ行為を、明治政府の木戸孝允らが積極的に指揮して行っていたという。。。

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地下に潜った神父たちが殉教者として祭り上げられるのを防ぐため、処刑は行われず数年間ただ牢に閉じ込めておかれたことがあった、その間の様子が神父たちからローマへ宛てた書簡として残っているらしい。そして、彼らが宗教者といえども決して色白なインテリではなく、屈強な精神と体力を持っていたことがうかがい知れる、航海者と宣教師は共通する精神性があったに違いないと著者は書いている。

当時はポルトガル王をバックにしていたイエズス会と、スペイン国王の庇護のもとにあったフランシスコ会などが、ローマ法王の裁定により地球を2分して布教していた。それゆえフランシスコ会はヨーロッパに戻るのに西回りの航路を使えず、一度仙台あたりまで北上し北西の海流に乗って太平洋を東へ渡りカリフォルニア海流で南下しアカプルコを経由するしかなかったという。著者は当時のカトリックの会派による陣地争いを、ペプシ vs コカコーラ、Google vs Appleのように、グローバル企業が世界のシェアを奪い合う様と似ていたのではないかと推察する。

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ここまではげしい弾圧&殉教という悲劇が起こることが、修道士たちに予見できなかったのか?と著者は疑問に思う。イエズス会と托鉢修道会派は同じカトリックでありながら、布教のシェアを争う仲でもあった。先に日本に来ていたイエズス会の修道士たちに比べて、托鉢修道会の修道士たちは日本語や仏典の知識のある人材が足りず、なかなか布教が進まない。ではイエズス会まで出向いて布教のテクニックを教えて貰えばいいじゃないかと進言した修道士がいたらしい。しかしその修道士は病を得て日本を去った、著者はもしかして彼は左遷されたのではないかと推察する。

 しかしそれは歴史の中で、また私たちが生きる現代でも、日常茶飯事にあることだ。組織や政治の世界、あるいは戦場において、何か困難な局面に立たされた時、積極派と消極派の意見が対立する。積極派は、現実を見すえて冷静に判断しようとする消極派を腰抜け呼ばわりして退け、破滅の道を転がってゆく。転がり始めたら、もう誰にもその流れを止めることはできない。

 それが戦争や外交の場合、敗北の首謀者を後世の人間は非難し、原因を検証しようとする。
 しかし話が布教の場合、難しいのは、敗北が時に殉教につながることだ。殉教は栄光であり、勝利である。殉教者を非難したり、検証したりすることは難しくなる。
 殉教した人物は記憶され、そうでない人物は忘れ去られていく。そんな不条理を感じずにはいられなかった。

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この文章を書きながら、あらためて「ペトロ岐部と187殉教者」について検索してみると、日本カトリック中央協議会のペトロ岐部と187殉教者特集ページに
殉教者と私たち - 1.聖人になるにはお金がかかるって本当ですか?他、2.無理して聖人を祭壇に上げる必要がどこにある?3.どうして私たちの教区の殉教者が福者のリストに入っていないのか?4.殉教者は政治犯かという4つのFAQが載っており、溝部司祭によるという文字が目にはいった。。。ん?あの溝部神父様か?お若い時にカトリック大分教会にいらっしゃって、わたしたちが結婚するときにお世話になった。。。神父様は転勤が多くて年賀状の宛先もわからなくなってしまっていたが、お元気そうでよかった。

カトリック教会は、バチカンにおける献金の使途不明問題、欧米・南米における聖職者による少年への虐待問題などがあり、宗教団体として完璧というわけではない。また殉教は教会が禁じている自殺には含まれないのか?などわたしにとっては納得できない点がある。だが、わたしの大伯母たちが家父長制度のもとで虐げられた魂を宗教に救われ生き続けることができたように、もうこれしかないという人たちには唯一の希望だったりもする。

このカトリック中央協議会のページを見ていて、福者とされていたマザー・テレサが、ランクアップして聖人に認められたというニュースが目に入った。マザーといえば、イラクで人質になった高遠さんはインドのマザー・テレサの施設で修行をした後マザーの命を受けて、イラクで見捨てられたストリートチルドレンの世話をしていた。今はやはり世界の目が届かず人知れず虐げられている人々に食料などを支援する活動をしている。日本にも困っている人はたくさんいるのにと思われるかもしれないが、このような活動によって、日本人全体が世界中から同じ価値観を持つ人間同士として認識され、世界情勢の中で孤立しないで済む。高遠さんは、日本人が言葉の壁によって世界の潮流から取り残されることに危惧を抱き、全国の高校などを回ってグローバルな視点を持つよう講演している。

人質事件で高遠さんが政敵である日本人でキリスト教徒だったにもかかわらず助かったのは、イスラム教と通ずる喜捨の精神を実行していたからだと思う。高遠さんが釈放された日、速報を知ったイスラム系放送局アルジャジーラのスタッフたちが「正義が実行された!」と叫びながら部屋から出てきたと聞いた。グローバルな視点は宗教の違いも越えるとわたしは思う。

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著者はキリスト教系の学校を卒業したがキリスト教徒ではなく、実家は仏教系だが仏教徒でもない、積極的無神論者でもない。つまり普通の日本人。わたし自身はどうなのかというと、身内に数人カトリックの信者がいる環境で育ち、母の実家はメソジストだったが、神はわたしを選ばなかった(。。。としか言いようがない)。宗教と猫は自分では選べない、それは思いがけないときに向こうからやってくる、そしてその時が来たら拒否することはできない、のではないかと思う。子猫のシャミを拾ったときのように。

(わたしは5年前に天寿を全うしたシャミが、またわたしを見つけて戻って来ると思っている、でもそのときシャミがまた猫の姿をしているとは限らない。この感覚は人に話してもなかなか分かってもらえないが、先日、ほぼ同時期に老猫を介護の末亡くした江川紹子さんがまったく同じ気持ちを持っていることを読み、自分だけではないと知った。)

Josquin des Prés - "Mille Regretz"