2010年10月13日
地図の読み方
昨日、「地図の読み方」という本が届いた。開くと縦書きの文が図もなくぎっしり詰まっているので、なんだこりゃーと思ったら別冊の形で地図帳が付いていた。読み込むにはけっこう大変そう。
実を言うとSILVAコンパスに32ページの取説が入っていて、これがなかなかポイントを押さえていて、コンパスの使い方がだいぶわかったように思う。実際やってることはしごく当然のことばかりなのだけど、そうかなるほどと思うことばかり。
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2010年10月 7日
「銀嶺の人(下)」読了
昨夜、銀嶺の人(下)を読み終えた。
上巻でマッターホルン北壁を登頂した後、次はどの山を登るのだろう?と思っていたら、同じくアルプスのアイガー北壁だった。ただ、すぐにアイガーに挑戦する話になるのではなく、その前に淑子(としこ)は泌尿器科医として、美佐子は鎌倉彫師としての話が挿入される。これは「なぜ山に登るのか?」の答を求めるための骨になることであり、新田次郎のこれまでの2冊も同じような手法で山と山でないことをからめて山屋にとっての山のありかたを探っていた。
美佐子にとっての山と鎌倉彫りの位置付けという前提を横に置いて、鎌倉彫りの話が純粋に興味深かかった。舞台が鎌倉で時々出てくる地名や由比ヶ浜に馴染みがあることも楽しめた。鎌倉彫りの作品がどのようなものかは漠然と知っていたが(うちにもお盆がある)、特に興味はなかった。しかし、今度鎌倉へ行ったならばもう少しよく見てみようと思う。
さて、山岳小説では事故は避けられない。アクシデントこそが小説に期待するところ、もっとも読み応えのある部分、まさに山場になる。最大の山場はアイガーとさらに最後のモンブラン(ドリューとグランドジョラス)にたっぷりとってあるが、挿話に冬の谷川岳で美佐子が死にかける山行きがある。この短い話が美佐子という登り手の実力を改めて示してくれるのだが、その力量を持ってしても山からの生還は最後は運が決めることも再認識させられる。
下巻では淑子と美佐子が別々の山行きを行うことになるが、二人に共通した弱さが出てくる。死への恐れを抱きながら山を登っている。それは限界に挑んでいることからくる当たり前なこととも言えるが、最後は二人がそれぞれ婚約者、夫とザイルを組むことから生まれる弱さが書いてある。強くならず、弱くなる。これは不思議なことのようでもあり、当然のような気もする。
誰かを守ることで自分が強くなるということもあるだろうが、誰かを守ることでそこに弱みが出ることも理解しやすい。谷川岳の遭難のように弱い者を守るために自分の力が奪われるということだけでなく、相手が自分より力があっても自分を十分に守れなくなる状態になる。そこに付け入る弱さが生まれてしまう。
このバランスは難しい。淑子と美佐子は互いにベストパートナーとして認め合っていて、他にザイルを組む人は居ないと言い切っている。しかし、マッターホルン北壁の後に二人がザイルを組むことはない。この二人ではないバラバラの登攀(とうはん)がその後の登りを難しくした。
「孤高の人」を8点としたら、「銀嶺の人」は9点 (^^)/
ところで、この本に登場する淑子のモデルは今井通子さんです。TVでも見かけることがあるので、写真を見れば「ああ、この人か」とわかるでしょう。美佐子のモデルは若山美子さん。若山美子さんのプロフィールはWeb上では削除されているようです。
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2010年10月 4日
「銀嶺の人(上)」読了
「銀嶺の人(上)」を読了した。山岳小説であることはわかっていたが、それ以上の予備知識無く読書を開始した。
場所は八ヶ岳だった。冬の八ヶ岳の横岳を縦走中に吹雪で道を失いギリギリの状態にある単独登山の女性クライマーの場面から始まった。ビバーク用の雪洞を掘り始めたところで探していた石室小屋が偶然見つかり、命からがら中に入るともう1人単独登山の女性クライマーが体を丸めていた。
なんと山ガールの話だった。しかし、この2人の山ガールは雪の八ヶ岳を単独で登るだけのことはあり強者だった。2人はビバーク中に出会ったロッククライミングの男性グループに誘われ、壁登りの魅力に取り憑かれる。そしてついにマッターホルンの北壁に挑戦する。成功すれば女性だけの登攀(とうはん)は世界初のことだ。
これまでに読んだ山歩きと違って、この本はロッククライミングだった。最初に八ヶ岳の赤岳、阿弥陀岳が出てきたのが小説の世界に入り込みやすくしたのは確かだが、この1カ月ぐらいにNHK BS hiで「日本の名峰」「グレートサミッツ」を観ていたので本に出てくる山々を観ていた。これがとてもタイムリーだった。
上巻の後半でマッターホルンを目指すのがわかったとき、下巻全部を使ってマッターホルンを攻めるのだろうと思っていたら、なんと上巻で制覇して終わった。これには驚いたというか、あっけに取られてしまった。確かに十分に緊張する場面の連続だったが、それにしてもあっけない。もう少し北壁にへばりついていたかった。
しかし、だとすると下巻はいったいどういう話になるのだろう?どの山を登るんだ?まさか恋愛話になったりしないだろうな・・・それはないと信じて下巻を読むことにしよう。
「孤高の人」「槍ヶ岳開山」と読んできたが、「孤高の人」より面白いかもしれない。
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2010年9月29日
槍ヶ岳開山 読了
新田次郎「槍ヶ岳開山」を読了。
江戸時代、大塩平八郎の反乱など飢饉により百姓一揆があったころの話。笠ヶ岳と槍ヶ岳を開山(笠ヶ岳は再興)する。
播隆上人(ばんりゅうしょうにん)という実在のお坊さんの話を軸に、槍ヶ岳のような険しい山にお堂を建て登山道を作る意味が書いてある。なぜ山に登るのか?という問いは「孤高の人」でもひとつのテーマだったが、この本もまたテーマのひとつ。
「孤高の人」が10点満点の8点とすれば、この本は4点、おまけして5点かな。
北アルプス穂高連峰の山々、笠ヶ岳、槍ヶ岳、涸沢あたりの昔のようすがわかる。
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2010年9月24日
孤高の人(下)読了
下巻は山を下るために登るような、登った高さよりもさらに下るようなそんな印象だった。結末は上巻の出だしに書いてある。それだけに降り方が難しかった。
上巻は主人公加藤文太郎の超人的な山歩きが軽快で爽快で、驚きもあって楽しかった。自分にはまず必要のない知識なのに、雪山で雪洞を作りビバークするようすや両ポケットに入れておく行動食などにいちいちメモするように情景を飲み込んだ。単独登山の加藤をガイドに頼み山を登るようで、しかも自分はぬくぬくとして、読み進むごとに力をつけたような錯覚があった。雪山の凍える寒ささえもうらやましく思えた。
しかし下巻は足が重くなった。加藤に付いてどの山に登っても楽しさが沸いてこなかった。どれも辛い山行きばかりに見えた。ページの残り具合からという判断から、この山は無事に制覇するだろうと思っても楽にならない。下巻がもつ重苦しさは加藤より、湿った雪のように加藤の回りにまとわりつく出来事から来ていた。体温で解けて衣服に染み入ってくる冷たさのように少しずつ黒ずんでいた。
そして最期がくる。下巻の最初からそこに向かって進んでいるのがいやでも伝わる。ページが残り少なくなると逆にすっぱりと最期が訪れることを祈ったが、いやもしかするとこのまま生還できるのでは、加藤が諦めていないのになぜ自分がここで諦めるのだと叱咤されながら残りページを減らした。
なぜこうなったのか、その理由が要因が穴の空いたポケットから落ちるように随所に点々と置かれていた。その跡を振り返るとそれを取りに帰れないところまで来ていることを悔いた。読みながら加藤と同じだけ悔いた。幻聴と幻視がせめてもの救いという非情な優しさを装って終わった。
次は「槍ヶ岳開山」これも新田次郎の作品。
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2010年9月21日
孤高の人(上)読破
朝、ちょっと読み始めたら、結局夕方まで読んでしまいました。
山、意外と向いているのかなあ・・・
って、読むと実際は違うけど。
投稿者 oshige : Permalink | book, yama
2010年9月20日
孤高の人(上)
新田次郎の「孤高の人(上)」を読み始めた。
106ページまで読んだ。