敗者たちのツール・ド・フランス ~ランタン・ルージュ~ 単行本(ソフトカバー) マックス・レオナルド (著), 安達 眞弓 (翻訳)

ランタン・ルージュとは最終走者のこと。敗者といってもツールに参加できるだけでもう超人なんですから。脱落して棄権する人がいっぱいいるなか、過酷なステージを完走できた勝者ですね。前半の平坦ステージで力を発揮するスプリンターの選手が、体型的に全く向いていない後半の山岳ステージを棄権せずに完走する場合、最終走者といっても平坦なステージでは上位の成績を残していたりします。

というと、われわれ日本人のツールファンが思い出すのは2009年のケニー・ファンヒュンメルですね。2009年は初めてスキルシマノから別府選手が、プイグテレコムから新城選手が出場した年。プイグのスプリンター、ケニーが後半の山岳ステージをボロボロになりながら最終走者として時間内にゴールする姿が世界中で話題になりました。ステージ優勝者や山岳賞獲得者と同じくらい「今日のケニー」が報じられた気がします。

あと、その年のツールでテレビに映らない後方の集団でのドラマで見たかったなーと思ったのは、山岳ステージでレースの成績には関係ない場面での、スプリンター同士の山岳スプリント勝負。平坦ステージのゴール前で競り合ったベテランのハスホフトと血気盛んんな若いカベンディッシュが、互いに苦手な山岳で勝負していたという。。。おもしろかったろうなあ。

遅れて集団で走っている選手とはどういう人達なのか?選手たちは同じレースを走っていても、チーム内での仕事が決まっています。スプリンターを守り集団前方に位置させる係、逃げを潰す係などはステージ前半で全力を出しきり任務完了、あとは集団で時間内に完走するだけです。ケガやアクシデントで予想外に遅れてしまった場合は、肉体的にも精神的にもダメージが大きいので優れた監督はさっさとリタイヤさせる。。。と市川雅敏さんが解説で言っていました。

勝負にからむ有名選手は取材されメディアに出ることが多い、その選手を優勝させるための後方支援も重要なのにその選手たちのドラマはあまり出てきません。今JSPORTSでツールの解説をしているのはツールに出場したことのない人達です。別府選手や新城選手が引退した後、経験者による話が聞けたらなあと思います。ドーピング問題も含めてあのときどうだったのか?という話も聞きたい。アシストの悲喜こもごもが知られてこそ、人生劇場としてのロードレースの楽しみがわかり、ファンが増えると思います。

クロツラヘラサギ

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宮崎から大分に戻る日、一ツ瀬川を渡る前に、河口へ立ち寄ってみました。養鰻池の中の道をおそるおそる進んで、干潟に到着。顔を左右に振りながら浅瀬の底をあさっているクロツラヘラサギ3、クロツラヘラサギの採餌って面白い!1羽は両脚に赤い輪がついていました。

上空を飛ぶミサゴ、マガモ、カルガモ、オナガガモ、コガモ、ヒドリガモ、カイツブリ、コサギ、ダイサギ、アオサギ。。。クロツラヘラサギ以外は普通に見られる鳥ですが、数が多い!

帰ろうかとおもっていると、車で乗りつけて急いで観察する人が。この人は自分のフィールドを毎日パトロールしている人だ!とピンと来て、挨拶すると、いろいろ情報をくださいました。今カモは2000羽。クロツラヘラサギは多い時は20羽ぐらいいる。一時期カラフトワシが居たなど(今はもう居ないようです)。「ゆっくりみてってくださーい」と言い残して去って行かれました。

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ふと足元に見たことがないチョウがとまりました。前翅が黄色、後翅がオレンジ、両方に毒々しい紋付。帰って図鑑を見ると「タテハモドキ」というチョウでした。

図鑑の同じページに「ツマベニチョウ」が載っていました。前日に鵜戸神宮で見て、秋なのにツマキチョウが〜と勘違いしていたのは、このツマベニチョウ?

宮崎に行ったら見たいなあと思っていたイシガケチョウには出会えませんでした。

そうそう、堀切峠と鵜戸神宮でツバメを見ました。

韓国岳

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去年母が入院した際、久しぶりに父と過ごす時間ができ、運転の特訓を受けました。そのおかげで、レンタカーは不安だけど父の車なら運転できる!ということで、夫の実家の宮崎へ車で往復してみました。ついでに宮崎の山も登ろうということで、霧島の韓国岳に挑戦。

朝5時半に宮崎の実家を出、高速で小林IC経由霧島高原へ。登山口の駐車場に7時に着くと霧で真っ白。ふもとは晴れているのに。一つだけあった自販機で水を補給。高原の自動販売機はすごいですね。見たことない蛾を一気に4種類ゲット。写真を撮りましたがまだ同定できていません。

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しばらく晴れるのを待ちましたが回復しそうにないのでゆっくり登りはじめました。

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霧の中から、鳥や鹿の声が聞こえてきます。突然目の前を緑色で尾の両側が白い鳥20羽ほどが横切りました。あれはアオジ。。。?でも聞いたことがない声で興奮するように口々に鳴いています。とっさで録音できませんでしたが、あれはなんだったんだろう?かれらが出てきた茂みの上の枝でホオジロ1♂が留まっていました。

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登山届けを出して、登っていきます。

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晴れていればこのような眺望があるはずが。。。真っ白です。

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途中でボンッという音と衝撃を感じて、「ひー爆発か」と緊張する瞬間がありました。

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荒涼とした風景です。

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9合目まできました。このような絶景が広がるはずが。。。

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あっちょっとだけ見えた!あれは新燃岳?霧がとぎれた瞬間、山頂の岩に立っていた人たちから「おおー!」という声が。

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山頂に着いて待っていると、霧が晴れて、出た!火口。広い火口内部から点々と白煙が上がっています。

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山頂の反対側はこれも火口跡。韓国岳は火口の淵の一部なのですね。

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絶壁に立って写真を撮っている人。こわいー。あそこまで行けば、朝日を背に火口にたまった霧に影が映って、またブロッケンを見られるかもと思いましたが、いやいや欲は出すまい、とやめておきました。

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だんだん霧が晴れてきました。この崖にカケス4羽がいました。

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晴れた!新燃岳とその向こうに高千穂峰。

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反対側はまだ雲海が広がっています。この後、霧が晴れると薩摩川内市と甑島が見えました。

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韓国岳を後にして、大浪池コースへ。この池の周りのふちを1周します。木製の階段の急斜面をえんえん降ります。

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周回コースは石畳で整備されています。ところどころから湖面が見えます。

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上から湖面を見ると、なにやら鳥が10羽ほど。それは時々潜るのです。え?カンムリカイツブリ?双眼鏡では遠すぎてよく見えません。あれは何だったんだろう?この池の水は強酸性だそうですが。。。

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大浪池から駐車場への道。人の気配がなく静かで深い森。途中にシカの骨が落ちていたりして。ヤマガラとコガラが多かった。

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ふもとに近づくと、赤松が多くなり地面が落葉で明るくなってきました。温泉で汗を流す時間をかせぐため、せっかくの風景を堪能することもなく早足で通過。

今回の山では、というか帰省中はトレイルランニング用の軽いシューズ1足で過ごしました。私はランニングはしないのだけど、いざとなれば走れる靴が役に立ちました。(いや本当は走ったりしなくていいようきちんと登山計画通りに行動することが大事なんですけど^_^;)

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フォークのような樹。

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赤松の幹が美しい〜。

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駐車場の近くの国民宿舎えびの高原荘の立ち寄り湯(500円)に30分だけ浸かって帰宅。ここも露天風呂があっていいお湯でした。

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霧島って火口だらけなのですね。

大分川

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大分に帰省していました。来てみたかったカモの季節。いつも通り、高崎山、鶴見岳、由布岳の3点セットを台地の上からチェック。

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ふもとのお寺に続く道を下って、川べりの八幡宮。

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土手に出ると夕日と川。

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南側から大分市を見下ろす霊山(りょうぜん)。

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右岸を上流の国分橋へ。

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国分橋近辺で見られる鳥の看板。ハクセキレイは冬鳥になっています。夏に帰省したときは居なかったハクセキレイが1羽いました。が、ほとんどセグロセキレイ。

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ヒバリのさえずりを聞きました。春ほど高く長時間は飛んでいませんでした。

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こちらはウグイス。地鳴きの合間に何度かホーホケキョが。竹やぶの前で立ち止まって録音しようとすると黙ってしまいました。ホオジロもイッピツケイジョウ〜と鳴いていました。

大分川 小野鶴橋〜国分橋 11:00
右岸
ジョウビタキ 9
セグロセキレイ10以上
ハクセキレイ 1
アオサギ3
ダイサギ2

イソシギ2
マガモ ♂20以上 ♀10以上
コガモ 10以上
オオバン 10以上
ヒドリガモ 30以上
ホシハジロ ♂1
カルガモ 10以上

左岸
ホオジロ20以上 c s f
ウグイス c 2カ所竹やぶでs
ヒバリ s 畑 春ほどの勢いは無い
カワウ 羽を干す
スズメ 10以上 c
キジバト

由布岳

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初めての「帰省&登山」。今まで何度か準備をして帰省しましたが、いつも雨で実現できませんでした。今回は、ちょうど晴れ間に登ることができました。

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父の車を借りて夜明け前に登山口に着きました。やまなみハイウェイの両側に広がる笹の原。由布岳の山頂に朝日がさす頃、歩き始めました。

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笹原の中の道をビンズイが歩いていました。道案内するように人が近づくとその分離れて行きます。

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登山口に、ヘルメットとかなり強めのメッセージがあります。そんなにおおげさでなくても。。。と思いましたが、山頂に行ったら必要なんだとわかりました。

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紅葉がひと段落した静かな道を登っていきます。草原との境目の林縁で、シジュウカラ、エナガの群れに会いました。

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暗い谷間を越えるとき、登山道で笹を食べていた母子の鹿が、人に気づいて鳴きながら走って逃げました。鹿たちはある程度距離を置くと樹の下からこちらをじっと見ていました(赤い葉の木の下あたりにいます)。
その他シジュウカラ、コガラ、コゲラ、アオゲラ、ツグミ。

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眼下に湯布院の街が見えます。草原状の場所でホオジロの声を聞きました。

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下から上ってくるガスに追われながら登りました。あれは九重連山?

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マユミの赤い実があちこちに見られました。

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山頂の西峰と東峰の分かれ目に到着。突然冷たく強い風が吹きぬけます。私たちの後を追うように上がってきたガスで南側は真っ白。山頂を境に北側は晴れていました。西峰は急峻な岩場で、見ただけでここは無理だとあきらめました。なるほどあっちに行くならヘルメットが必要だねと言いながら東峰へ。

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マタエから上の山頂部は、石の色がピンクやオレンジで、山腹とははっきり違っています。

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中学2年のとき、当時の担任の先生が個人的にクラスのみんなを由布登山に連れて行ってくれました。ところがわたしは途中まで登って貧血で倒れてしまい、みんなに迷惑をかけたのでした。それ以来の由布山です。死ぬまでにリベンジしたいことの一つがこの由布登山でした。「やったーもういつ死んでもいい♪」というと、同行の家族が「せめて下山だけはしてくれ」と。天国の河野先生、それからあのときわたしを介抱してくれた先生のお知り合いで麓に住んでいらしたご夫婦、ありがとうございましたー!


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おそるおそる東峰の岩場を下っている最中、下から上って来たご夫婦に道を譲ってステージのように張り出している場所で待っているとき、ふと前方を見ると、マタエの間を流れる霧に自分の影が映っていました。これはもしかして先日「ブラタモリ富士山」でやっていた、御来迎(ブロッケン現象)?

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わー!ブロッケンですよ、と下から来たご夫婦としばし見て楽しみました。4人が並んでいても、見えるのは一人につき一つ、自分の影しか見えないって不思議です。必死に下っていたら気がつかなかったんだろうな、途中で立ち止まったから偶然出会えたのでした。

あとで写真を見ると、よくヨガとかスピリチュアル系のイラストにこういうのが描かれているけど、あれってほんとにこうなんだーと感心してしまったのでした。

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樹に生えるコケが面白い!年中霧で湿ってるんですね。

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下山しながらもいろいろな鳥の声がしていました。が、わたしにはよく聞き分けられません。ヒタキ類の声、シロハラの姿。

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なんだかザトウムシもちょっときれいに見える。

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登山道のあちこちに落ちていた赤い実。これはなんだろう?葉は落ちてしまって樹には実しか残っていませんでした。
帰って調べると「カナクギノキ」というのが似ているのですが。

下山後、湯布院のホテル夢想園の日帰り湯に立ち寄りました。ここの露天風呂は晴れていれば眺め最高、家族風呂料金追加無料なので、空いている平日の昼間ならおすすめです。午後3時半からは宿泊客専用になります。

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帰りに書店に寄って、郷土の本コーナーで見つけた本。地形、登山案内、伝説、信仰、文芸、絵画、動物、昆虫、植生、あらゆる角度から由布山について解説されています。特に虫がすごい。もう山頂に登るのは気が済んだので、機会があれば次は山腹の自然観察路を鶴見山までゆっくり歩けたらなあと思っています。登山口の反対側の青梅台(おうめんでえ)の方からの鳥の声が濃かったので、ここもチェックしたい。(もう死んでもいいんじゃなかったのか?)

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戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く

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戦争が遺したもの 鶴見 俊輔  (著), 上野 千鶴子  (著), 小熊 英二  (著)

追悼鶴見俊輔。

おじいちゃんが語ってくれる戦中戦後のはなし。反戦主義者でありながら、日米交換船で帰国、徴兵されて軍属として前線で働くとはどういうことなのか?反戦ではあるが戦争と関わる方を選択したのはなぜか?開戦前から負けると分かっていたのに。。。答えはない。ただフーンとお話をきいているだけ。けどそういうこともあるんだなあと。

知識人は普通の人に対して義務がある。知識人は特権階級なのだから。知識人が一般人のふりをして誠意のない態度でいるのは許せない、という言葉が印象に残った。
昔は知識人という特権階級が居たんだなあと感じてしまったのは、今はそうではないということなんだろうか?

上野千鶴子が慰安婦に関してつっこんで聞くところなど、先日途中まで読んだ「歴史認識とは何か」を思い出した。細谷雄一はフェミニストが歴史を利用しようとすると書いていたが、女性の側からするとその発想自体がそもそも違う!という気がする。一番の当事者である本人(元慰安婦)にとって納得できないことが歴史になりうるのか?

ヤママユ

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明神ヶ岳で羽化中のヤママユに会いました。

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蛾にしては大きい方です。翅が広がるともっとゴージャスなはず。

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モッサモサに毛深い。虫にお詳しい方に見ていただいたところ、触覚が細いのでメスだそうです。

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活動するうちに鱗粉が取れていくのかな?そもそも鱗粉とは粉なのか?毛なのか?近くに緑色のマユがないか探しましたが見当たりませんでした。マユはどうしたんだろう?

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ヤママユが居た樹の地衣類もおもしろいけど、これについて調べようとするとちょっと気が遠くなる感じ。

明神ヶ岳

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九州に帰省して1週間に2つの山に登る計画を立てましたが、ちょっと体力に不安があったので、事前に一つ登っておくことにしました。疲労を経て適当に筋力がついてくれて、その疲労が本番の登山まで残らない適度な山。。。ということで、箱根明神ヶ岳。

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大雄山最乗寺の奥から山に入ります。最乗寺にはムササビがいるそうですが、背後の山は暗い杉林で生き物の気配はあまりありません。権現沢の北側の尾根を登ります。

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足柄林道を通って権現沢の南側の道に乗り換えます。杉林を過ぎると落葉広葉樹林帯でほっとします。ヤマガラの声が聞こえます。

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小さな沢がいくつもあります。

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リフトの跡のようなものがあります。林業用だったのでしょうか?このススキノ原でホオジロのような声をたくさん聞きました。

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尾根に出ると視界が開けました。眼下の湘南の平野は晴れています。

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この花はなんじゃろ?

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大きなアザミ?にモコモコなハチ。ビロードツリアブ?

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足元に咲くリュウノウギク。

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リンドウはずーっと咲いていました。

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明神ヶ岳に到着!パノラマが広がります。駒ケ岳、神山、早雲山と噴煙が上がる大涌谷。

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山頂近くにだけマツムシソウ。われわれと前後して歩いてきた単独行の年配のご婦人が花の名前を教えてくださいました。さきほどの大きなアザミは「フジアザミ」と教わりました。

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咲き終わったフジアザミが方々に。見頃に来たらきれいなんだろうな。ところでわたしは今まで、富士山を上がる道路を、富士「アザミ」ラインだと思っていましたが、この花の名前の「フジアザミ」ラインなのでしょうか?


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ここにも居た!ヤマネコ。

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顔は可愛いけど尻尾はタワシ。ガリガリにやせています。餌が欲しいが人がこわい。その葛藤で興奮しています。おにぎりとマーガリンつきのパン、どっちをやろうかなと思い、猫がよろこぶのは油だろうとマーガリンパンを手に近づくと、マジの猫パンチでパンを奪われました。ワイルドや〜。久々に見る本物の野良猫!猫の爪がささって血が出たところをアルコールで消毒して振り返ると、ヤツは茂みにくわえて入ったパンをあっという間に平らげて、満足げに顔を洗っています。そうかそうか、美味しかった?やっぱり油でしょう(^皿^)。この子はほんとに可愛かったな。寒くなると山を下って里に下りるのかな?

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金時山を望みながら、なだらかに下りが続きます。足元にはアキノキリンソウ。

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ここでホオジロの声。双眼鏡で見るとカシラダカ?にしては冠羽がすんごく立ってる。もう少しそろそろと近づいて見ると、それはミヤマホオジロのオスとメス1羽ずつでした。左の暗い林の中と明るいススキの間を行ったり来たりしています。同行の夫によると、「今日は(わたしの)誕生日なので逆らわないことにする」だそうで、鳥を見る間待っていてくれました。

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両側が背の高いササの暗めな道で、木の枝に黒い鳥が留まっていました。双眼鏡で見ると墨染のアオジ=クロジのオスでした。

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道の両側に続くこの草の実はナンジャロ?どうもこれを食べているらしい緑色の鳥が、われわれの行く先を飛んでいます。

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ここまで来てようやく鳥の正体がわかりました。アオジのオスとメス1羽ずつ。今シーズン初めて見たアオジでした。


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矢倉岳峠のうぐいす茶屋に到着。ここでまったりしている若い人たちが。中高年の人たちは早朝から行動して山頂目指してまっしぐら、用が終わればさっさと帰るというタイプが多い、というかそれが山の常識となっているけれど、若い人たちを見ると、日が昇ってからゆっくり登り、途中でも景色のいいところでくつろいで別に山頂を目指さないタイプもいるなあ。カリキュラムをこなすというよりは、急がずに過程を楽しむというか。わたしたちもここまで来ておいて目の前の金時山には登らずに帰るんですけど。。。

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矢倉岳峠から箱根の町へ、金時山の登山道を下山。

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下りたところは箱根の別荘街。保養所や豪邸が並ぶなかを歩いているとこれが。荒縄って?


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ホオジロガモのメス

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ヒドリガモを見ていたら、ホオジロガモ♀が1羽混じっていました。去年見たときは、ひっきりなしに潜っていましたが、今回はのんびりしています。そしてクチバシの先が黄色くないので今年生まれ?去年の個体もクチバシの先が黄色くありませんでした。今年も若鳥ということは去年とは違う個体?スズガモもですが、なぜ1羽だけ見られるのか?不思議です。

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歴史認識とは何か

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戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで (新潮選書) 単行本 - 2015/7/24 細谷 雄一 (著)

史実だけを掘り起こし精査すれば共通の歴史認識が得られるというナイーブな歴史観の時代は終わった!
世界史の教科書で事実だけを覚える形式は古い。

イデオロギー、ポストコロリアリズム、フェミニズム、ナショナリスト、様々な活動家・政治家が歴史を利用しようとする。

わたしにとって日露戦争以後わからなくなってしまう日本史。


戦後史の3つの束縛
親米vs反米というイデオロギー的対立が歴史認識に浸透してしまっている。(例:「戦後史の正体」などの陰謀論批判。単純な対立項構造が読者に好まれるが現実はもっと複雑。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、イラク戦争などアメリカの失策は多くある。)
(イデオロギー的束縛)
戦後を研究するには戦前を知る必要がある。
(時間的束縛)
日本の教育において世界史に日本が出てこない。
(空間的束縛)

・ファーガソン「憎悪の世紀」20世紀は前半大量殺戮の世紀。後半は平和で大国間の戦争がない(第三次世界大戦=第三世界の戦争)
・平和は近代の発明。日露戦争はハーグ平和条約が初めて適用された戦争。ハーグ陸戦規則、ジュネーブ条約など軍部の教育が徹底していた。
・第一次世界大戦でヨーロッパ世界は多大な被害と荒廃を経験したが、日本は戦場にならなかったため平和の希求という認識を共有しなかった→戦争を国力増強の好機とみなしていた。平和主義、帝国主義の崩壊、ナショナリズムの台頭という新しい潮流に乗れなかった日本外交。日本でも自由主義的な国際主義の潮流を理解していた人たちがいた。吉野作造、原敬、牧野伸顕のぶあき、吉田茂。強硬な対中政策改善への提言。対して自国の利益と主張のみにこだわる強硬な意見も多かった。人種差別・英米批判の系譜・帝国主義と民族主義の二つの潮流に挟まれて漂流しはじめる日本。

。。。

ここまでで図書館の貸し出し期間終了つづきはまた