土曜の夜、雨上がり。ふとおもいついて鎌倉まで。道も駐車場も空いていた。桜を透かしておぼろの半月。ボンボリと花びらの天幕でほんのり明るい。手をつないで歩く人々。灯が途切れる八幡様の前の交差点で、南海交通の白い大型高速バスがグオーっと曲がって行くのを見る。暗い海に現われたシロナガスクジラみたいだった。

藤沢の大庭城趾公園にて。薄明の中の桜を撮りたかったんだけど、寝過ごしてしまいチャリで現地に着いたら6時すぎ。もうすっかり明るいし、ビニールシート準備完了だし。
この木の下は露店の野菜屋さん。「写真かい?まだちょっと早いけどね、これは咲き始めて10日はもつよ」さすが野菜屋さん、鮮度にくわしい。
公団の無人地区の桜の下でアカハラを見た。これはアカハラだと思った瞬間、先日西浜駐車場で見たのはマミチャジナイだったと確信。
15−8と15−9の間にスミレのカーペットを発見。
yo氏と浜見平団地にて。この古い公団の団地は緑がよく手入れされていて好きな場所。老朽化が進んで建て替えられるらしいけど桜はこのままでいてほしい。同じ木を撮っているオジサンがいて「あ、風やんだ。今ですね!」とか「あと2,3日後が満開だね」とか言葉を交わした。花壇のふちに腰掛けて花を見上げていると、通り掛かりの知らない人が「あら、きれい」と立ち止まって並んで腰掛けて一緒に見た。
桜は遠くから見るとベールをかぶった女性のようだけど、下から見ると平面的で花と枝は空に散らばる模様のよう。ずっと見ていると、単純化され幾何学的な模様となって記憶に残る。それは江戸千代紙のようだとおもう。子どものころ、父が東京に行くたびにいせ辰の千代紙をお土産に買ってきてくれた。それで祖母がお人形を作ってくれて「この模様が好き、この色がいい」と話してくれた。祖母の好みは紫の花がストライプ上に配置されているものだった。大人になってからは自分でお店に行って買うようになって、何に使うというわけではないけれど、時々出してながめる。
桜を撮ると、薄い花びらは空に溶け込んでしまい、枝ばかりが写ってしまう。桜を見ていると思っているけど、実は枝を見ているのか?
千の川沿いの遊歩道。電源開発敷地内の桜を柵越に見る。池は相模川橋脚跡。