やっと車を手放しました。10年間で7千キロ。。。普通の車の半年分ぐらいだそう。ほんっとめったに乗りませんでした。どう考えても無駄なのに、手放すとなるとまためんどうで、ズルズルと所有しつづけていたのです。これでやっと、夜中にハッと目覚めて「今週エンジンかけてない!バッテリー上ってないだろか。」とドキドキすることもないわ。
中古車屋さんが車を引き取りに来る前に、もう一度乗っておこうと、葉山の先の和田長浜まで行きました。三浦半島を一周する予定だったのに、ちょっと車から降りて海岸を歩いたら、もう猫のことが心配で、帰ってきてしまったのです。
貝が打ち上がるのにも旬があり、もう季節が遅かったのか、たいした収穫はありませんでした。でも大好きな、小さな貝がたくさん。やはり断崖の上で鳥が鳴いているし。以前来たときはセッカだったけど、あの声は何だったのか?繁殖期のさえずりじゃない地鳴きは同定が難しい。
和田長浜はシーグラス(ガラスビンなどが割れて波で摩耗し半透明の石状になったもの)はたくさんありましたが、ペットボトルやビニールゴミはひとつもありませんでした。ここを利用する釣り人、カヤッカーがちゃんとしてるのか?近所のお店が壜入りの飲料しか販売しないとか?(いやーそれはないかも)
三浦半島を周回しているらしいロードバイクをたくさん見ました。今度は自転車で来てみたいな。
甥っ子のレポートの宿題につきあって、大分市美術館へ。中学生の男子にバルビゾン派の絵を見て何か書けとは酷な課題じゃなかろうか。数ある絵の中から甥が選んだのは、きれいなオネエサンの絵で、やっぱそうだよね、と安心する。
大分の街で妹一家と食事。その後、妹宅で、姪っ子の猫ナギちゃんとトカゲのトカちゃんをみせてもらう。トカゲをかわいがって飼う小学生女子とは、なかなか見どころあります。
母の庭。
今回習ったもの
・高野豆腐のミルク煮
・鶏ムネ肉の自家製ハム
・シーチキンと玉ねぎをパンに乗せたの
・梅酒でヒラメのムニエル
・仏様に上げるお花の根元に、目立たないようにローズマリーを混ぜると、姿が安定し花が長持ちする。
・むくみにはスイカ
帰りはソニックにちりん+のぞみ。小倉の乗り換え口で辛子明太と長浜ラーメンを買う。
わたしの実家がある大分に着いて、久しぶりにお盆の時期に帰ったので、早朝お寺に行き、お墓の掃除。


お坊さんが来る日、お仏壇に御料具をあげます。ゴマドウフ、煮豆、煮物、ご飯、汁物。お箸は仏様の方に向けて。


臨済宗では読経の際、刻んだキュウリまたはナスをお米に混ぜたものを用意して、餓鬼に施します。このガラスの器はわたしが子どものころから使われているもの。


夫の実家で一週間お世話になりました。今回は、道をおぼえてこわごわ運転し、買い物に行って料理し、夜は家族で宴会。。。ちょっと今までとはちがうエキサイティングな日々でした。
私が宮崎に着いた8月2日、田圃はすでに稲刈りが終わっていました。落ちた穂から勝手に芽が出て、次の稲が自生している合間を、アマサギがゆっくり歩いている。。。宮崎は豊かなところです。
都市のイコノロジー―人間の空間 という本を読んだ。人が幸福感に包まれて暮らすには建築や都市計画はどうあるべきかということについての本。図書館で見かけてパラパラと見て、その巻末にあった小論文「人間的空間の系譜」に感動して、ぜひ手元にほしいと思った。だがすでに絶版。ネットで古書を手に入れた。
その小論文は当時芸大に勤めていた著者が、旧奏学堂を保存するために、関係者を説得する目的で書かれたと後書きにあった。しばしば研究者に引用されてきたが、一般には知られていなかったと。そしてその小論文で引用されている、更なる元ネタ「視覚芸術の意味」(E・パノフスキー著)という本を読みたくなったが、これも絶版。
amazonのマーケットプレイスで5600円より(元々の定価は7500円)。一度どこかの図書館で立ち読みしてから購入するかどうか決めよう、と県立図書館の横断検索をやってみた。県図書は貸出中、あと在庫しているのは厚木市と小田原市の図書館。この本は岩崎美術社の「美術名著選書」というシリーズだった。そのシリーズごと開架している小田原の「かもめ図書館」というところに行ってみる事にした。
初めて降りる鴨宮(かものみや)という駅。私の前を歩いていた若いカップルは「何もない。。。」と絶句していた。駅から「かもめ図書館こちら」というプレートに沿って歩く。本当にこの道なんだろうか?こんなさみしい。。。と思っていたら、目が合った。
住宅街の中に突如あらわれるきれいな建物。
閲覧席でふと脇を見ると、目が合った。
目的の本の「第2章 様式史の反映としての人体比例理論史」35ページ分をコピーさせてもらって、安心して談話室(休憩室)でコーヒーを飲んでいると、隅に座っていたおじいさんがナイフでリンゴをむいて4等分し、そのリンゴを素手で持って、その場にいた人に配り始めた。周りにいたおじいさんたちは、当然のように素手で受け取って食べた。私の近くに座っていた若い男性は逃げて行った。私の所には来なかった。リンゴは4切れしかなかったのだから、もしどうぞって渡されたらどうする?なんておびえなくてもよかったのに。
図書館を出ると砂嵐だった。帰り道でまた目が合った。
鴨宮の駅のホームで遅れた電車をずっと待った。強風のためではなくて、電車が小動物と接触したためらしかった。小動物って何だろう?西湘バイパスで「鹿飛び出し注意」の看板を見た事あるけど。大磯まで線路沿いの山側に梅が見えた。花は5分ぐらい。まだ咲いていないのか、風で散ってしまったのかはわからなかった。
卵焼器の上にも炭が置いてあります。上下からじわーっと熱された厚焼き卵はなめらかなプリンのような食感。
西湘バイパスが通行止めなので、134号線はガラアキでした。ふだんは怖くて走れない路肩を自転車でのーんびり。134号線の脚のすき間から見える海。
青いランプを点滅させながら来る黄色い車両、道路メンテナンスの車かと思ったら。。。
途中で出会った猫。トンボを追っかけるのに夢中でした。
花水〜大磯港の堤防の道はススキがチラホラと。
太平洋自転車道の二の宮側終点近くに「公開時間10時〜3時」という錆びたプレートのある小さな門があり、何だか趣のある階段が。公園か庭園なのかな?と登ってみたら。。。変な(失礼)銅像があるだけだった。クッやられた。
昔の中国旅行続きです。このエピソードをぜったい書けと言う家人のすすめにより、追記します。ツアー一行は桂林に行く前、広州で中山記念堂という公会堂のような建物に立ち寄りました。別に普通の建物だったんですが、そこでふとゴミ箱が目に入りまして、写真を撮ってバスに戻ると、バスはもう動き出していました。あれ?一瞬の間の後、同行の家人の
「置いて行かれた!まってくれー」
という声でわれにかえって、あわてて追いかけました。
当時中国では外国人の個人旅行は認められていませんでした。必ず現地ガイドが同行するツアーの一員となって団体行動をしなくてはいけなかったのです。ここで置いていかれたら、大変!かなりめんどくさいことになるにちがいありません。
両手を大きく振りながら必死に走るわたしたちを、運良く後部座席の人が気づいてくれて助かりました。汗だくでバスに乗り込んだわたしたちは拍手喝采で迎えられまして、広州の現地ガイドのオッサンは笑い転げていました。それ以後、バスが発車するたびに
「みんな乗った?」(ガイドさん)
「大体オッケー!」(全員)
がお約束になりました。で、そのゴミ箱の写真です。
果皮箱っていうんですね。一番右のはゴミを入れるのがもったいないくらい豪華。これ撮ってたから遅れたんだぞ、と見るたび毎回言われます。^^;
お金で買えないものはない
それは本当だけど
多くの人はそうは思いたくない
だから
そんなことはないと大人は言う
と、あるドイツ人が語るのを聞いた
i-morley: 「この世はポルノだ」 ルネ・ポレシュ第三弾インタビュー
そして
今わたしが住んでいる世界がいかに
お金で片が付く世界かと言うことを
実感した時のことを思い出した
1989年の暮れ
天安門事件の半年後
渡航禁止解除になってすぐ行ってみた中国の田舎
死ぬまでに一度は見たい山水画の世界
万が一体制に変化があると永遠に見れなくなるかもしれなかった
今はもうまるで変わっているかもしれない
もしかして全然昔のままかもしれない
当時はまだ人民服を来ている人がいた
わたしたち外国人はそこでは信じられないぐらいお金持ちだった
自分が死ぬほど働いたからではなくて
たまたま生れた国がお金もちの国だったというだけで
若くて未熟なのに大金を持っていることの恥ずかしさ
わたしは街にたった1軒の本屋に入った
まるで図書館のように静かだった
お客さんは手に取った本を立ったまま読んでいた ずっと
どの本も角がすり切れて丸くなっていた
わたしは農業暦と朱鷺に関する本と園芸の本を買った
そしてあとで気がついた
その本屋はみんなが立ち読みするための本屋だった
わたしが本を買ってしまったことで貴重な蔵書が失われたのでは?
現地の旅行社のガイドさんは少数民族出身の可愛い人
桂林の地方語、北京語、英語、フランス語、日本語を自由に話し
ユーモアのセンスも抜群だった
天安門事件があってから、観光客が来なくなったのでヒマだったそうだ
「香港から来た新聞を読んだけど
天安門事件は外国のメディアが作ったウソだと思う
本当はそんな事実はなかったと思う」と言った
それが彼女の本心だったかどうかはわからない
わたしたちだって、現場にいたわけではないのだし
新聞には書いてあったよね、でもほんとうのことはわからないよね
そういうことにして旅を続けた
ツアーメンバーの半分は高校の教師だった
歴史とか語学とか中国に縁のある年配の人たち
そのメンバーの一人が集合時刻に遅れて現われた
みんなは別に気にしていなかった
けどガイドさんは言った
「○○さん、みんな待っていましたよ、みんなに何と言いますか?」
その言葉に全員おもわず姿勢を正した
舗装されていない田舎道をバスで走っていると
急に止って動かなくなった
様子を見に行ったガイドさんが言うには
「前の車が牛をひいてしまいました
ぜったいそとに出ないで
牛の持ち主が石をぶつけるから」
!!!
「どうして?」
「だって大事な牛をヤラレタから家族がバスに復讐する」
!!!
しばらくしてバスは動き出した
道の傍らに目に涙をためた子牛がうずくまっていた
石を握りしめた人はいなかった
その夕方、空路で香港に戻る予定だった
空港でガイドさんにお世話になりましたとお礼を言うと
「みんなはこれから香港に行っておいしいものを食べられる
けどわたしは一生桂林から出られない」
と淋しそうな顔でつぶやいた
その瞬間はっとした
こんなに頭がよくて各国語を自由に操り
かわいくて気立てのいい人が
さっきまで親しくいろいろ話していた人が
柵から出られず
わたしは柵を越えて行く
いや知っていた
知識としては
でもその瞬間「本当に」知った
後ろ髪を引かれる思いで飛行機に乗った
そして香港に着いた
その暑くて毒々しいお金にまみれた空気の
なんとおいしかったこと!
わたしだけではなかったとおもう
バスのなかで香港のガイドさんが
みんな顔が明るいねー
桂林でなにかいいことあった?ときいたぐらい
いやいや、香港に戻ってこれてほっとしてるんですよ
ここは楽だー
なにもかもお金でカタがつく世界
ほしいものは他人のことなど気にせずに買えるし
言いたいことは言えるし
お客様という立場ならあれこれ命令されないし
失敗してもお金で償える
そしてどこでも好きな所に行ける
こここそ自分の居場所だ
自分は資本主義社会の人間だと
実感したのでした
楽な分、なくしたものもあるはずだけど
日豊線、大分←→宮崎間に「そうたろう」という無人駅があります。単線の離合のために、列車はこの県境の峠の駅で一旦停止します。ドアが開くことはないのですが、10分ほど止っています。周りは深い山で、駅から見える道の向こうは谷川になっているようです。駅の横に一軒家があります。
わたしはここを通るたびに、こんな寂しい所に住む気持ちはどんなだろう?といつも思っていました。そして、いつかここで降りて周りをブラブラしてみたいと思っています。
今年は時刻表を写すことが出来ました。な、なんとここに止る列車は上り下り合わせて1日6本です。
線路の脇にポストのようなものが立っています。これは何なんでしょう?柵に守られたきゃしゃな1本足。
傾いた電話ボックスがぽつんとあります。ここで遭難した人が助けを求めるのか?
同じ風景でも列車の車窓から見ると感傷的な感じがします。
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フグで有名な臼杵駅です。臼杵の街並みは、古いお屋敷が残っていて、とってもレトロチック。写真が趣味の方にはたまらない所だと思います。ここで写真&フグ三昧のオフ会なんかやったらいいだろなー。
大分市の実家に着いて。庭にそびえ立つアンテナ塔。私と妹が子どものころ、無線マニアだった父が郊外に新しい土地を買ったからと、家族で見に行ったら、家が建つ前にすでに塔ができていたという。園芸が趣味の母は造園計画が台無し!と憤慨していましたねえ。
今は携帯に取って代わられて無線人口も減りました。無線のアンテナも下ろしてあります。でも台風の時は実家のコレが倒れないか心配なんですわ。そうそう、74歳になる父がiPod Shuffleを使っていたのには驚きました。
たぶん自慢の鉢植はこれじゃないと思うんですが、素人にはよくわかりません。花の種類が多すぎて。。。右下は母流ペットボトルの干し方。
お湯に入ったとたん、全身が銀色に光ります。小さな泡の膜をまとった感じ。炭酸濃度はバブの10倍だそうです。
ラムネ温泉 日本一の高濃度炭酸泉の効能
外には川が流れ、野草が咲き乱れていました。この花は祖母が好きだった花。祖母は小さなものが好きでした。そしてこの小さい紫の野菊を特別に愛していました。母と小さな姪を見ると、祖母と私を思い出すのでした。
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あ、訂正。バブの12倍だそうです。匂いは無臭です。ちょっと舐めて見たら、鉄の味でした。飲むのは相当きつそうです。
葉っぱの先に小さな葉っぱがつきます。それがポロっと地面に落ちて、次々増えるのだそうです。ちなみに花は咲かないそうです。小さな葉っぱをもらってきました。ちゃんと育てられるかなあ。右下はマリーゴールドとヤマトシジミ。わたしはこの小さなチョウが大好き。
オクラの農園まで行ってみました。カゴがついているママチャリで。今日は山越えでなくて、ちょっと遠回りになるけど川沿いの平坦な道。午前中北風だったので帰りは追い風、カゴには野菜がいっぱい、むふふふふ。のハズだったのですが、直売所は空、お昼過ぎから風向きが変わってしまい、行きも帰りも向かい風(泣)。でも田圃の中の道は気持ち良かったです。本日の走行距離22.1km。茅ヶ崎西浜ー藤沢市遠藤。
オイッチニ、サンシ、体操中。
気になる小さな道
林の下はひんやりとしています
田んぼを渡ってくる風、イネの匂い
き、キジです!
仕事で上京したついでに家に寄ってくれた兄と一緒に、江ノ島水族館に行きました。
本日もイワ。。。いえ、ツバメ2羽が1日中マンション上空を飛び回っていた。
15日は茅ヶ崎中のあちこちの神社で「どんど焼き」が行われていました。大磯では毎年1月14日に「超デッカイどんど焼き」があります。
国の重要無形文化財 セエノカミサンに願う火祭 14日、大磯北浜海岸で「左義長」
これに去年初めて行って見ました。以下は私の見た左義長です。
大磯へは車や自転車で行くことはありますが、電車は初めてです。駅を出てすぐ目の前が海だろうと思っていたら、意外と山の向こうなのです。海どっち?と思いながら適当に歩いていると、お団子をつけた木の枝を持った親子が歩いています。この人について行けば会場にの浜に出るだろうと思った私は、付かず離れず後をつけて行きました。しばらく国道沿いに歩いた後、ある交差点で同じような親子連れたちを発見。「待ったア?」「おそーいー!」待ち合わせでした。親子連れはUターンして今来た道を戻ります。それにまた付かず離れずついて行く私。なんか情けないし、怪しいし。その人たちに付いて行くと、海岸近くでこのような灯が目に入りました。
やんなごっこ
裸若衆宿
浜には大きなやぐらがいくつも組まれていて、だるまとかオフダとか書き初めとか、捨てにくいんだけど、とっておいても困るものが積まれています。あたりは真っ暗になって、やぐらに次々点火されて行きます。近づいて写真を撮りたいけど、飛んでくる火の粉がハンパじゃない。お団子を焼くなんてとんでもない、近づけませんて。
炎が大きくなってくると、どこからともなく(きっとさっきの裸若衆宿から)ふんどしいっちょの青年たちがオジサンたちに連れられてやってきて、何か言われて、海へ飛び込んで行きます。「う"ぇ〜〜」とか「ぐわ!」とか「づめで〜」とか断末魔の叫びみたいな声がして青年たちは火柱の元へ帰ってきます。木の板に乗せられて。
島崎藤村は左義長を見に来て大磯に永住することを決意したそうですが。。。何考えていたんでしょうか?
この危険な火の粉&裸若衆が冬の海に飛び込んだ後そりに乗せられて引き回しの刑というお祭りを見たい方は、大磯観光協会の左義長 お知らせを参考に来年1月14日にどうぞ。
雨の中ここ6階の窓の外は、渡りの途中のコシアカツバメのご一行様9羽が飛び交ってお食事中。どこを出発して、どこへ行くのか?あの小さな体で。中の1羽はもう羽がボロボロ。無事に旅を終えられるといいと思う。
そういえば今年もタゲリ米の予約が始まった。茅ヶ崎にはもうすぐシベリアからタゲリたちが来る。年々減ってるんだけど。たとえもしタゲリが来なくなっても、このシステムは続いて欲しい。
旅と言えば、昨日は半年ぶりに車に乗って出かけた。ここを見て。
箱根を越える国道1号線で、歩いて南下する旅人を見た。季節を追いかけて旅するのは鳥だけではないのです。平塚の国道1号線の近くに住んでいる時に、徒歩で渡っている人たちがいることに気がついた。
春は南から北へ、秋は北から南へ、荷物一つ持って、"その道"が長いと思われる人が歩いて旅している。同じ空間にいながら、車や電車で旅するわれわれとは違う時間感覚、違う価値観の世界に住む人たち。
それからもちろん、漕いで旅する人もいた。箱根の坂を自転車で上っている人たち。下りも大変だろな。今夜のブエルタの放送で、栗村さんが下りについて解説してたけど、下りは怖い。エンジンブレーキないもんね。


ススキは山頂までススキなのがいい。砂漠みたいに、越えても越えても果てしなくどこまで続くのだろうとおもうぐらいのが。
ススキの中を歩く人の後ろ姿を見て、子供の頃読んだ本の話しを思い出す。旅人が夜、山道を歩いていた。道の両わきは見渡す限りススキの原だった。
誰も住んでいないような古い小屋があって、少し開いたドアから中をのぞくと、風がゴーっと吹き、一面のススキを揺らした。ちょうどそのとき雲の切れ間ができて、窓から月の光が小屋の中にさっと射した。
すると月光と一緒に小さな光の子がたくさん降りてきて、飛んだりはねたり遊ぶのが見えた。旅人はその子らをおどかさないようにそっとその場を立ち去った。


箱根の乗り物
どちらかというと地元の人には「いや、あれは...」と触れられたくないものとして扱われることが多いという巨大仏だが
地元出身の友人Fちゃんは「子どもの頃、近くを通ると怖くて怖くて、なるたけ見ないようにしていた」そうな大船観音。白くてツルンとした感じが、古都鎌倉のイメージと真向対決。まず遠くから見て、だんだん近づいてきて、というステップを踏めばまだしも、電車に乗ってる人は、大船駅に滑り込むと同時にご対メーンだから、ヒエーっと思っちゃう。
数年前11月のある日、神社仏閣マニアの友人がぜひ近くで見たいというので付き合って拝観してみた。
初めて降りる大船駅西口。激安商店街と有名予備校と鎌倉芸術館がある東口とは全く対照的。暇そうなタクシー乗り場、色あせた(ように見える)バスが待つロータリー、古い食堂。
観音様こっちという看板に導かれ、駅裏の急な山道をハアハア言いながら登って行くと、上がるにつれ視界が開けて、小田原方面と横須賀方面に別れて行く線路が見える。電車の音が下界から聞こえる。国道をアリの行列のように動く車のフロントガラスの光。風の音。
山門をくぐると参道の両わきには寄進者の名前が入った灯籠が並ぶ。その名前。カタカナ?タイ?ベトナム?な名前。そう、意外とここってアジア各地から来ている人たちの心のオアシスらしいのです。毎年秋にはインターナショナルなお祭りもあるそう。
つながる ひろがる アジアのねがい
休憩室にあったパンフレットによると、ここは曹洞宗。世界各国のお寺と交流があるそう。世界中を飛び回って働いて、タイに永住した高校時代の友人、H川君を思い出した。タイには日本人住職のお寺があるって言ってたなあ。日本にいるときは宗教なんて縁がなかったけど、異国で暮らすと心の支えが欲しくなるって言ってた。なんでタイなの?ってきくと、女性がやさしいからって。日本の女の人は怖いんだと。なによそれ!どこの女だって心の中で思ってる事は一緒よ!抗議したあたしたち。(ほーらこわい(笑)
この観音様を初めて見に行く人は、足元まで行けば全身が見れるという期待を持って行くと思うので、その全貌(?)を見た時には「ダマサレタ!」と、思ってしまうのは仕方ないかな。あたしたちもブリブリ文句を言い、一応手を合わせて、売店で売られているグッズについて子細に検討し、休憩室のパンフレットを肴に30分ぐらいしゃべって時間をつぶし、鎌倉芸術館のヴィクトリア・ムローヴァのコンサートに行ったのでした(実は時間潰し ^^;)
でも友人ともあのときの演奏は忘れられないねって言う。いつもは座席で待ち合わせ、ぎりぎり滑り込みセーフで余裕がない状態で聴くので、演奏中に眠くなったり、その後のお茶で話しが盛り上がって肝心な演奏内容をすっかり忘れたりする。あのヴァイオリンの音を今でもおぼえているのは、その前に観音様の山の上で風に吹かれたからじゃないかなと思うの。心に空き容量、大船観音。
アジアの仏像って極彩色だから、アジア系の参拝者のみなさんは、あの白い大仏を見るたびにきれいな色に塗りたいだろうな。なーんか未完成な感じで納得いかないんじゃないだろか。逆に日本人のあたしたちは、苔が生えた石仏みたいに渋い質感だったらなと思う。あの白はどっちでもないインターナショナルな色なのかな?