読んだよ、やっと読んだ。長かった。この物語で描かれる7世紀のブリテン島におけるブリトン人とサクソン人の対立は、ユーゴスラビア解体後の民族紛争とか、イスラム教の宗派対立とか、ツチ族とフツ族とか、日中戦争の記憶とか、読む人にいろいろなことを想起させると思うけど、わたしが最初に思い出したのは、認知症になった義母と介護をしていた義父のことだった。これを読み始めたのが偶然、義母の葬儀で帰省する飛行機の中だったということもあると思うが。
義母は認知症の初期の頃、あたしはなんでこう物忘れがひどくなったんじゃろかあ?、なんでじゃろかあ?そればっかり考えとるよ、と言っていた。誰でも年を取ると罹る病気でお義母さんのせいじゃないです、と言っても納得せず、何か原因があって、それを取り除けばまた記憶が蘇るのではないかと思いたかったようだった。
義母の記憶が退行するにつれ、可愛がっていた姪が若くしてガンで亡くなったこと、親しくしていた姉たちが病気で先に他界したこと、まだ小さかった長男を診療ミスで亡くしたこと、など義母にとっての悲しい記憶が薄らいでいった。それを私たちは、その事に限っては不幸中の幸いと思っていたが、しかしあるときふと、昔の義父の行動に対する怒りがポツンと浮上し蘇るときもあった。
わたしの祖母は「人は許すことは出来る、けど忘れることは出来ないんだよ」と言っていた。「あのときああだったから、もしかして今度もそうなんじゃないかと思ってしまうものなのさ、信用っていうのは一度無くしたらもう取り戻せないものなんだよ」と。
じゃあ忘れることができたらどうなんだろう?過去のトラウマをリセットできたら?トラウマ恋愛映画入門にもあった、「エターナルサンシャイン」はその実験をやったストーリー。この小説「忘れられた巨人」も映画化されたら「トラウマ恋愛映画」に堂々ランクインできると思う(わたし調べ)。
ベストセラーの片付け本「人生がときめく片づけの魔法」によると、モノを捨てられないのは、過去への執着と未来への不安があるからだという。よく知らないので間違っているかもしれないが「断捨離」も過去への執着と未来への不安を捨てることのような気がする。自分の意志で執着を断つということは、反面過去に執着していたという記憶を持ち続けるということで、でなければ断捨離したという自覚が保てずライフスタイルを維持することは出来ない。竜の息や病気など外部の要因で知らない間に記憶が無くなるのは「記憶が盗まれた」のであって断捨離とは言わないね。失敗の記憶を持ち続けなければ、また同じ失敗を繰り返すし。
義母に初めて会ったとき、「あたしは最初の子が4歳の一番可愛い盛りにその子を病気で亡くしてねぇ。泣いて暮らしたけどもう涙は涸れ果てた。だから今は毎日楽しく明るく暮らしとるとよ」と語ってくれた。涙が涸れ果てたという記憶が無くなり、長男を亡くした事実のみを後に知らされたら、また最初から悲しみと向き合う儀式をしなければならないのだろうか?
義母の認知症の進行とともに、義父が家事を引き受けるようになり、家事は義母のやり方から義父の自分のやり方に変化していった。義父は義母の影響から少しずつ放たれていくようにも見えた。どの夫婦でも、本来の自分の好みを相手に合わせているうちにそれが普通になっているが、相手の影響がなくなると本当は好きだったもの、キライだったものを思い出すことってないだろうか?
義父は義母が介護施設に移った後も、毎日会いに行っていた。義母が病気の苦しみから解放され安全なお墓に入り、義母のためにすることが無くなって、義父は義母のことを少しずつ忘れていくのだろうか?義父は一人になったのが寂しいという。でも義母に帰ってきて欲しいとは思わないようだ。
わたしは義父が義母への思いやりから遠慮していた様々なことを取り戻してほしいと思う。義母は自身の功績は無いが間違いなく偉大な人だった。義父が義母と出会い過ごした時間、授かった子どもたちと孫はかけがえのない価値のあるものだとは思うが。今は好きな時に好きなことをして、義母と出会う前の自分を思い出して、自由に生きて欲しいとおもう。もしも義父が先に旅立ち、義母が残された場合でも、義母に同じように思っただろう。
義母が認知症の初期の頃、義母と台所に立ち、わたしがお刺身を切っているのを見た義母が「あんたの切り方はあたしと一緒じゃねえ!」と驚いた。「そりゃそうですよ、昔お義母さんに習ったんだから」という言葉を飲み込んで(そう言うと義母が混乱するので)「そうですか?偶然ですね」と言いながら、さみしさに涙がでそうになる、次第に知らない人になっていく義母との、そんな小さな別れの繰り返しがあった。
別れは必ずやってくる。猫のシャミを亡くしたとき、シャミはもう居なくなったのにまだ居るかのように暮らしていくのはいやだった。しかしシャミのことをすっかり忘れて全く新しい暮らしに向き合うのもいやだった。当時、私の心は尾根道を歩いていた。外輪山の内側をなつかしくのぞき込み、明るく遠い平野を眺めながら。両サイドからの風を感じどちらへも落ちないようバランスをとりながら。
忘れないけど、トラウマから自由になる。それができたなら。
個人的な記憶の問題はさておき、民族や国家間の問題なら解決方法はある。それは教育だ。カズオイシグロの前作「わたしを離さないで」のテーマの一つは教育だったと思う。主人公の子たちの過酷な運命を変えたくて、心ある教師たちが教育を与えるが、それが逆に彼らに「運命を受け入れる」ことをも教えてしまう。あの子たちはなんで逃げたり逆らったり抗議したりしないのか?それはそう教育されたから。高校3年間を進学校で過ごしたわたしにはよくわかる。のちに、もしかして自分は親や教師にだまされていたのか?と気づき、教師もよかれと思ってしたことが結局生徒を不幸にしたのではと苦い気持ちになることがあっても。
ここまで書いてふと思う。愛やいたわりは、死や過酷な運命への抗議であり戦いであると。現実には容赦なくその時は来るが。
そういえば、「わたしを離さないで」と、この「忘れられた巨人」の間に短編集の「夜想曲集」というのが出版されている。これも苦く味わい深い恋愛小説だった。
以下ネタバレ
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