グローバリズム以後

グローバリズムが世界を滅ぼす (文春新書) 単行本 - 2014/6/20 エマニュエル トッド (著), 柴山 桂太 (著), 中野 剛志  (著), 藤井 聡 (著), 堀 茂樹 (著), & 2 その他

エマニュアル・トッドの最近の著作。ここ数年の新書は、日本におけるインタビューや講演の書き起こし。すでに著作で述べられていることばかりだが、口語で平易な語り口。

「グローバリズムが世界を滅ぼす」は、共著の柴山 桂太, 中野 剛志, 藤井 聡がこれまでにそれぞれの著書で語っていることと同じ。


問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書) 新書 - 2016/9/21 エマニュエル・トッド  (著), 堀 茂樹 (翻訳)

「問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論」では、EUが崩壊に向かうことを予測している。私はユーゴスラビアの崩壊を思い出す。あのような悲惨な事にならなければいいけど。

・グローバリゼーションにより、世界は単一の価値観を持つようになるのか?という問いに、そうはならないと解答。(例:人口問題について。家族形態が平等主義のフランスでは回復しているが、権威主義が強く女性の地位が低い日本やドイツでは出生率が低い。)レヴィ=ストロースも「世界的に文化が融合・均一化されることはない」と言っていた、人類学の学会での定説。

・世界には同族婚や氏族単位の政治に見られるように、国家というものが存在できない段階の国がある。西欧社会のように国家のシステムが機能してこそ、国民が個人として生きて行くことが出来る。個人の自立には国家の後ろ盾が不可欠。国家は家族、親族、部族といった関係から、個人を解放する。

・国により家族のかたちは違うが、移民として移動してきた人々は、自分たちの伝統的な習慣より現地の家族システムに従っている。例えばアメリカの場合、移民のコミュニティから離れ、個人として自立することを助けたのは国家。

・日本の場合、「家族」の過剰な重視が「家族」を殺す。家族内の負担が大きく、公的扶助が足りないと「家族」は破綻する。

・日本は長子相続の直系家族というシステム。家族構造がヒエラルキーになっているため、国際関係を対等だと考えることも苦手。弱者に転落した国家が従来のヒエラルキーから脱して、あまりかかわらないようにすることも自然と考えてしまいがち。国際情勢と距離を置いて自分だけの世界に閉じこもってしまおうという孤立志向の誘惑がある。日本のような長子相続の国では、長男以外は家族ヒエラルキーの外に出てしまい、一人で生きようとする傾向がある。日本はこの伝統的な文化の殻を打ち破り、今後も国際社会の中で積極的に世界の安定化に関与していくべき。p.204

・余談:日本でアンケートをとると、突出して多い答えが「わからない」という回答。日本では自分の意見を留保しておく態度が非常に多い。日本人の研究者から「アンケートの回答例を奇数にすると真ん中に回答が偏るので偶数にする」ときいたそう。
 ↑ ↑ ↑
これもひとつのシャイハックですね。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。......いや、上げなくてよい。 単行本(ソフトカバー) - 2016/10/24 栗原一貴  (著), 西田健志 (著), 濱崎雅弘 (著), 簗瀬洋平  (著), 渡邊恵太  (著), & 1 その他

出版社のwebページ
消極性デザイン宣言 消極的な人よ、声を上げよ。......いや、上げなくてよい。 | 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社

消極性研究会 SIGSHY

まあインターフェースの話なのですが、コミュニケーションを円滑にするには環境というかシステムというかセットが大事という話です。個人の能力は環境によって変わる。

わたしの母の年代の女性(80代)は車の運転ができない人が多いけど、50〜60代の友人や知り合いになるとかなりの人が自分で運転します。なぜかというと、その年代の人が運転免許を取ろうかと思う時期に、女性でも運転しやすい製品が流通し始めた(パワーステアリング、パワーウインドウ、オートマチック車)、道路の整備が進んだ(舗装、拡幅、ミラーの設置)、ロードサービスが完備された、などの理由で車を運転することの敷居が下がったためです。個人の運転能力が上がったのではなく、環境が整備されたことによります。今スマホが普及しているのも、インターフェイスが洗練されてきたからですね。

6人の著者がそれぞれの立場から、人の「消極性」と、消極的な人が何かに参加する場合に障害になることを取り除くデザイン=ヤル気のユニバーサルデザインとでもいうか???について述べています。

定番の事例の紹介では、Apple社のユーザインターフェイスについてですね。

無印良品のように、身の回りのモノ全てが自分の存在を主張しなくてもいいじゃないかというコンセプトの価値についても。(最近はあまりないけど昔は、ちょっと世代が上の地方在住の人に「無印良品のどこがいいの?」と聞かれることがあり、そのたびにうまく答えられなくて困ったなあ。)

飲み会の挨拶や乾杯の音頭を入札制にするなどおもしろいケースがいろいろ紹介されていたが、おっと思ったのは、回転寿司のシステムの素晴らしさ。お店に行っていきなり食べ始められ、目の前に来たものを食べたいか食べたくないかの2択なので、どれを食べようかと迷う時間を短縮でき、いつでも食べるのをやめられる。

UI GRAPHICS ―世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェイスデザイン 単行本 - 2015/12/17 水野 勝仁 (著), 深津 貴之 (著), 渡邊 恵太  (著), 菅 俊一 (著), & 6 その他

この本のタイトル「世界の成功事例から学ぶ」って、これを読んでも無駄にはならないわよ、だってすでに成功している例なんだからってことで、シャイハックの視点から見ると、タイトルですでに一歩引き込むのに成功している。

インターフェイスのデザイン界では、水玉のようなマテリアルのボタンが流行った時期があり、その後フラットデザインが巻き返した。それを私は単なる流行廃りだと思っていたが、そうではなかった。モノのメタファーからビットマップが解放されたってことだったらしい。

パソコンの操作はキーボードやマウスという物質のデバイスを必要とする。スマホの普及により、液晶を直接指でタッチしたり(タップ)、撫でたり(スワイプ)つまんだり(ピンチ)より直感的で身体と直接つながっている感覚のインターフェイスが一般的になった。操作性が上がっただけでなく、それはビットマップというコンピューター側の都合に人間の動作を合わせるという主従関係の逆転でもあった。

映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫) 文庫 - 2012/5 島田 裕巳  (著)

偶然同時期に読んでいた本。全くジャンルが違うが、気になることが。アメリカ映画で描かれていることの多くは、若者が成長する際に体験する通過儀礼についてであるという。著者は宗教学者。その例をスターウォーズとかまあいろいろ有名な映画について解説がある。

そして日本映画はどうだろうかということになるのだが、国民的ヒット作「フーテンの寅さん」は毎回オトナになりきれない、いわば通過儀礼の失敗例。小津安二郎の映画の登場人物の設定もそうで、親が心配で婚期が遅れていたり(とうか親が子どもの自立を阻む存在)。。。

著者は、日本人が大人になる過程は、劇的な事件により一線を越えるのではなく、時間をかけて徐々にゆっくりだという。。。シャイハックの目線からするとこの事実はどうなんだろうか?

という2冊の本を読みに、自転車で20km離れた近隣の市立図書館へ。どちらも大型で高価で私が住んでいる市内の図書館にはありません。

読んでおきたい本が目に付いたとき、iPhoneのホーム画面を左にスワイプすると出てくる検索画面からAMAZONのカメラマークをタップ、バーコードを撮影すると即座にその本が出てくるので、ウィッシュリストに入れておきます。

時間があるときに、ウィッシュリストに溜まっている本をチェック。libronのExtension(http://www.libron.net)を入れたsafariで見ると、自分で事前に登録した図書館にその本があるかどうかがわかります。無い場合も、カーリル(https://calil.jp)と連動して、県内の図書館を検索してくれます。

どこに何があるとわかるので、ちょっと自転車に乗りたいとき、図書館を目的地にすることがあります。(市内の図書館に申請すれば、近隣の図書館から借りてくれるので、わざわざ出かける必要はないのですが)

カーリルで検索するまで気がつかなかったのですが、意外と大学図書館って近隣の市民に開放されていて、自然科学、国際関係、デザイン、IT系の専門書が充実しています。

小村雪岱作品集 大型本 - 2015/10 小村 雪岱  (著)

秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明 大型本 - 2006/10 デイヴィッド ホックニー (著), David Hockney (原著), 木下 哲夫 (翻訳)

このホックニーの著書をドキュメンタリーで見たいです。当時の画家が実際にどうやって作業したのか、再現されたシーンを見たい。当時の光学機器で同じ絵を描く過程と、現代の技術で同様の事をやったらどうなるか?あっ今検索したらそれらしいのがYoutubeにありました。

ドバトが食べているのは?

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なんなんでしょうか?
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砂浜の波打ち際に寄せられた藻屑をよく見ると、小さなカニの殻。これ?じゃないような・・・
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小さなエビのような殻。これ?
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小さな小さなカニの殻が集まっている場所
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ハマヒルガオが咲き始めました
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相模川河口のカモ 2016~2017

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5月になり、河口周辺で冬を過ごしたカモたちは北へ帰っていきました。早朝水辺へ行っても誰も居ない。カランと静かな水面。軽くカモロスです。

今シーズンを振り返ると

・2〜3年前に初めて見かけた、オカヨシガモがさらに増えた。
・スズガモがまとまった数で(といっても30羽ほどですが)春まで滞在した。
・ウミアイサも春まで滞在した、特にオス1とメス1はほぼ常時みられた。

群れで居るスズガモを相模湾で見たのは初めてでした。東京湾では普通にあちこちに居ますが。オス7+メス25ほどのグループが、ホシハジロ2と一緒に、昼間は漁港の中で休み、夕方になると川に出てきて橋の下で潜水。一方、ヒドリガモたちの群れに混じって砂浜で過ごしているオス2羽も居て、あのオス2羽はなぜ他のスズガモと一緒に居ないのかなあと不思議でした。(あと、ずっと滞在していた群れとは別に、1日だけ20羽ぐらいの群れが海上で休んでいたこともありました。)

休んでいるスズガモの群れのメスをよく見ると、その中の数羽はキンクロハジロだったりしますが、オスはいつもスズガモだけです。近くの池には、毎年キンクロハジロが来ていて、そちらと比較して見ていたのですが、キンクロハジロの群れにスズガモが混ざることはありませんでした。

夕方まだ明るいうちにスズガモが川に出て潜っている時も、キンクロハジロは真っ暗になるまで池を飛び立つことはありませんでした。見た目そっくりなのに、微妙に行動が違う。食べるものが違うのかなあ。大体、なぜスズガモはここで一冬過ごそうと思ったのか?エサが豊富になったから?

潜水ガモが多かったなあと言う感想です。今シーズンだけだったんでしょうか?来シーズンはどうなるんだろう?


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眠っているスズガモ♂(上)、♀(中)、羽繕いをするホシハジロ♀(下)


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顔を水面下に浸けたまま泳ぎ回るウミアイサ♂餌探し?


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ハオコゼ?を飲み込もうと必死なウミアイサ♂その後一応飲み込んだけど具合悪そうでした。

SoftbankのiPhoneを格安SIMに変更

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Macユーザにとって、iPhoneを日本国内で使うことは夢でした。それを実現してくれてたSoftbankさんには感謝していましたが、もうそろそろいいやろ?ということで、ホワイトプランの契約期限が切れるのを機に、SIMフリーのiPhoneに買い換えて格安SIMの会社にMNPしました。iPhone6、1台につき、月々7000円近く払っていたのが、1200円ぐらいになりました。

3月にbmobileの噂を聞き期待していたのですが、フタを明けてみればデータ通信SIMだけで、音声通話SIMのプランはありませんでした。そこでiPhone6を使い続けるのはあきらめました。

両親がdocomoからY!mobileにMNPしたので、自分もY!mobileを検討したのですが、SoftbankからMNPする場合は割高なのですね。キャンペーンで1年目は格安ですが、翌年からは適用されません。

いろいろなプランを比較して(「格安SIM 比較」などで検索すると比較サイトが出てきます)結局

・AppleStoreでSIMフリーのiPhoneを買い(翌日配送、送料無料)
・Apple RenewプログラムでiPhone6(Softbank)を下取りに出す
・自分の利用状況に合ったプランがある会社にMNPする

のが、一番時間と手間がかからず、価格が安いとわかりました。
わたしは

・自宅にWi-Fiがあり、あまり外出しないので、月々のデータ使用量は0.5M以下
・電話で長話をすることはない(実家とはFaceTimeで連絡)
・海外で使うことはない(万が一の時は現地でプリペイドの格安SIMを買う)

そしてちょうどそのとき夫の実家の都合で

・2、3日かかる宅急便は受け取れない
・短時間でMNPする必要がある

ことから、近所にあるお店のカウンターに行けば、その場でSIMが買えて、お店の人が1時間ほどでMNPしてくれるイオンモバイルを選択しました。

Softbankからの転出は、電話でMNP予約番号をもらうだけで、サクサクと手続きしてくれました。

iPhoneはSEを購入しました。今までのiPhone6はわたしの手には大きすぎて扱いにくかった&バッグや服のポケットに入れるのに微妙に大きくて違和感があったので。画面が小さくてもおサイフケータイにならなくても別に困りませんが、キーボードが小さくなってタイピングがちょっと不便です。以前はiPhone4で不便を感じていなかったのですが。老眼がすすんだからでしょうか。

*新規購入したiPhoneにデータを復元するとき、何かSIMを差しておかないと設定ができません。それで、データを復元する前にSIMを買いに行ったのですが、「そのSIMは何でもいいので、今まで使っていたSoftbankのを抜いて、とりあえず差しておくだけでもよかったんですよ」ってイオンの人が教えてくれました。

相模川河口のキビタキ(え?キビタキ?)

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夜明けの鳥の鳴き出しについて調べている方に、同行させていただきました。1時半起床、2時半に家を出、3時半に第1集合場所、4時に第2集合場所、歩いて現地へ(海抜60~80mぐらい)。

過去に同じ季節同じ場所で記録された通りに、キビタキ、ヒヨドリ、メジロと順番通りに鳴き始めました。この日聞かれた鳴き声は、初心者の私がわかっただけで

03:30 フクロウs(教えてもらう前は遠くで犬がほえているのかと)
04:25 キビタキs、オオルリs、ヒヨドリ、メジロs
04:30 ハシブトガラスc、ガビチョウs
04:40 アオゲラc、ヤマガラc
04:50 クロツグミs
05:00 ヤブサメs
05:20 ウグイスs、アオジs、コジュケイc
(謎の声は除く)

ベテランの先輩方の同定と解説に感動。声の聞き分けは、知っている人について教えてもらわないとなかなかわかりません。

ーーーーー

という1日を過ごした翌日、早朝いつもの河口に行ってみると、早口でチンチクリンと鳴く声が。キビタキに似ているが、ものすごく下手。前日山の中で聞いたキビタキとは大違い。ヒヨドリが鳴き真似してるんじゃないの?秋にはヒヨドリの声でいっぱいになる場所です。この場所に居ると脳が勝手にヒヨドリの声に変換してしまうのでしょうか?

https://soundcloud.com/ritsuko-oshige/20170501-061453a/s-yjn3g
特にシジュウカラとの掛け合い部分がグダグダ(^^;)

そうだ、夜明けに聞けば、キビタキ〜ヒヨドリの順番だから、キビタキっぽく聞こえるかも(前日の山の中とは環境が違うけどまあいいや)ということで、翌朝早朝夜明け前に、河口のキビタキ?スポットに行って見ましたが。。。キビタキもヒヨドリも居ませんでした。

キビタキは通過個体だったとしても、ヒヨドリが全然居ない。もう一度言いますが、秋にはヒヨドリの声でいっぱいになる場所です。今って全然居ないんだ。それがショックでした。初めて気がついた。

ちなみに、河口の早起き順は

04:20 新湘南大橋下 スズメc
04:25 キジ3ヶ所、ハシボソガラスc
04:30 シジュウカラs4ヶ所、ハシブトガラスc
04:35 カワラヒワcs、カルガモc、ハクセキレイc
04:45 キジバト
04:55 チュウシャクシギ

キジは全部で4ヶ所で聞かれました。こんなに居たとは。
シジュウカラのテリトリーは6ヶ所。
カワラヒワは寝起きから囀りまでのウォーミングアップが長くて2分以上かかっていました。
キジバトは遅起き。

ーーーーー

実はわたしが早朝(夜遅く)出かけていたとき
わたしの夫は一晩かけて箱根の外輪山を走っていたのですが
ずっとトラツグミの声がしていたそうです。

正確には
キーンという金属音のような高い音が
機械的に鳴っていてそういう装置があちこちにあった
あれはイノシシが嫌いな音を出しているのかなあ?

というので、もしやと思いついて
バードリサーチのさえずりナビで
トラツグミの声を聞かせると
これこれ!ということでした。

幻の漂泊民・サンカ

幻の漂泊民・サンカ (文春文庫) 文庫 - 2004/11 沖浦 和光  (著)

著者の「竹の民俗誌」を読んだときに、戸籍を持たず山に暮らし漁撈採集生活の傍ら竹細工などで収入を得ていた人々が、1950年代まで居たと知って衝撃を受けた。そのサンカ(山家)と呼ばれる山人についての取材報告。

だがその前に、サンカについて流布された間違ったイメージの訂正のためにかなりな枚数が割かれている。amazonで検索すると出てくる著作の中にも、民俗学的に公正な取材に基づいて書かれた物でなく、なかば想像と創作によるものがある。どちらかというとその方が多いので注意。

わたしは最初、サンカは縄文時代の生活スタイルをそのまま続けている、アマゾンのイゾラドのような人々かと思ったが、著者は、サンカの人々が山に暮らすようになったのは、中世の飢饉がきっかけではなかったのか?と推測している。

本の最後に「サンカ民族の基本的類型」というまとめがある。外部の人間に分かる自分たちの記録を持たないため、誤解されやすい彼らのことを、公正に記録しておかねばと言う著者の気持ちというか決意がわかる。

サンカは家族単位で行動し、数家族が集団で移動することはない。
決まった回遊路を持つ。
生態系をよく知っているので乱獲はしない。
1ヶ所に長期間とどまらない。

またサンカは、交易相手である村人との信頼関係を大事にしている。
家族内での分業ができあがっている。
サンカ同士でヨコの連絡はとりあっているが(結婚式などで大人数が集まることがある)、タテの主従関係はない。

サンカは集団で1ヶ所にとどまらないなど、自然にダメージを与えない生業のスタイルをとっていたようだ。また、同業者同士で競合しないようにも気遣っていた。彼らのスタイルは、現代人が自然と接するときの手本になるんじゃないだろうか。

わたしが、山に持って行ってはいけないと思う物は、競争心だ。競争心とは、組織内において上位の者が部下を支配したりポテンシャルを上げたりするのに利用されるもの。重労働が課される農耕社会においては、有効だろう。

けど生産性が有限な山では競争は意味ないし、かえって自分たちの首を絞めることになる。山を利用するのはいいが、山を舞台に競争するのはよくない。山はそういう場所ではないから。その前提が分からない人は、いつまでも自然関係の団体とトラブルになるだろうな。

レヴィ=ストロース講義

レヴィ=ストロース講義 (平凡社ライブラリー) 単行本 - 2005/7 クロード レヴィ=ストロース (著), Claude L´evi‐Strauss (原著), 川田 順造 (翻訳), 渡辺 公三 (翻訳)

1986年に行われた、講義と日本人の学者たちとの質疑応答。人類学を始めとする学者たちとの質疑が行なわれた後、最後に経済人である日商岩井の人から「自分は50年以上海外貿易に携わり、アカデミズム畑の人間では無いが、この講義を聴いて思うところがあった。世界各地の人々と交易をする際、心からいい取引が出来たと思えるときは、相手と文化的にも相互に深い理解が出来た場合が多い。返して言えば貿易摩擦=文化摩擦である。経済の交流が円滑になるとともに、世界的に文化が融合・均一化される方向に向かうのでは?その際に起こる西欧文明とのひずみに批判が出ているが。。。」というような意味の質問が出る(実際はもっと上品で謙虚な言い回し)。ああ、この後911が起こり世界はテロとの戦いに入るのだなあ、現場ではすでに危機が感じられていたのだと、ぞっとした。博士の答えは「人類学史上、世界的に文化が融合した例はない。文化が均一化されようとすると、内部から多様性が生まれてくる」というものだった。やはりグローバル化は無理というか、不自然なことで、必ずその反発が起きるのだろうなと思う。このくだりは今まさにその実例が進行中なことで、ちょっと震えた。グローバル化とそれへに反発が第一次世界大戦を引き起こした、今まさにそういう状況という。。。

あと「農耕」が人類全体にとって幸せなことなのか?という疑問も提示された。狩猟採集による未開社会と言われているシステムでは1日に2〜4時間の労働で子どもと老人を含む家族を養え、余暇は信仰や芸能や制作に当てられる(たしかに、縄文土器の装飾は暇じゃ無いと無理よね)。一方私たちの社会では長時間労働により多くの人が疲労している。

若桑みどりの「世界の認識方法には2つある、円で囲まれた有限の世界とグリッド状にベクトルが無限に伸びていく世界」という言葉を思い出す。狩猟採集(持続可能で循環する自然環境)と、農耕(開発により際限なく広がっていく農地)。

講演が行われたのが日本というのもあると思うが、「ルース・ベネディクト」の名前も出てくる。人類学の世界では、人類学の研究が多くの人命を救った成功例として、GHQによる日本の占領が語られる。たしかにあの時点ではそうではあるが、占領がいまだに続いているのはどうなのか?人類学の学界は、これから日本とアメリカの関係がどうなっていくのか、政局とは別な視点で注視しているんだろうな。

農耕の起源を探る―イネの来た道 (歴史文化ライブラリー) 単行本 - 2009/7 宮本 一夫  (著)

農耕は人類に安定的な食糧をもたらしたが、それにより人口が増大、さらに外側へ移住し農地を拡大する必要が出てくる。そのようにして、農耕民は居住地を拡大し、狩猟採集民と接触する機会が増えただろう。。。

幻獣ムベンベを追え

幻獣ムベンベを追え (集英社文庫) 文庫 - 2003/1 高野 秀行  (著)

フィールドに出かけることができないので、本を読み倒しています。

「謎の独立国家ソマリランド」の高野秀行氏のデビュー作。あまり期待していなかったが、おもしろかった!こういう本は、果たして幻獣は存在するのか?という謎が物語を引っ張って行くものだけど、その結果が最初からわかっていても、おもしろい。著作の中では枚数が割かれていないが、現地に出かける前の準備(日本に滞在している現地人を探して現地語を習うとか、装備を提供してもらうために企業を訪ねてプレゼンするとか)の方が、時間も手間もかかっている。

コンゴの奥地の湖の1ヶ所に若者たちが40日間も滞在し、やることは湖の監視(そこまで行くのが大変だっのではあるが)。食糧不足や虫やマラリアとの戦いなどもあるが、何が辛いって、探検しに来ているのに、風景が変わらずやることが単調なこと。分かるわー、わたしも若い頃(探検には行かなかったが)退屈な時間がつらかった。だから双眼鏡を持ってでかけてもフィールドに長時間いられなかった。

今の私はこの本を読みながら、他の爬虫類を調べて!とか、その虫をもっと観察して!とか、植生を調べて!とか、とかとかいろいろ注文をつけてしまう。彼らは学生の探検部なので学術調査隊とは違うのは仕方ないんだけど、ところがそれでもおもしろい。それは高野氏の人間観察力によるもの。結局、一番面白いのは人間なんだなあ。(特にこの男子だけの合宿状態は、三浦しおんさんが好むシーン)

著者は、現地ポーターと一緒に湖を調査しているとき、彼らに見える動物の声や姿に全く気がつかなかったそうだ。視力や聴力といった五感の能力でアフリカ人に勝てるはずもないが、著者は現地の人が何かを発見するとき、何を見ているかをその都度観察した。すると、彼らが集中するとき、それは対象の動物と時間帯や地形がセットになっていることに気づく。いつ、どこなら何が居るという前提があるわけだ。そのことに気がつくとは、著者の人間に対する観察眼はすごい。

ちなみに、著者ら一行が彼の地に滞在した、ちょうど同じ時期、少ししか離れていない場所で、京都大学の研究者が人跡未踏の地「ンドキの森」を発見していたそうだ。ンドキの森についてはナショナルジオグラフィック日本版1995年7月号で読んだのをおぼえている。

見たことがないものを見たい(未確認生物を発見したい)という欲望と、すでに存在は知られてはいるがそれについて詳しく知りたい(霊長類の生態を研究したい)という欲望はどう違うのか?

あと、現地民が何となく怖れている物に、外部からの情報が具体的な姿形を与えてしまった場合、現地の伝承がどのように変化してしまうのか?それが経済的な効果を伴っている場合は?などいろいろ考えてしまう。

このムベンベがいるとされるテレ湖は、画像検索すると出てくるが、人工的にも見えるきれいな円形をしている。著者の報告によると、湖は広さの割に全面にわたり浅い底が続き(1〜2m)、ふちだけが急に落ち込み、外側は周囲よりも水はけがよい、つまりふちが少し高くなっている。それを読んで連想されるのは月のクレーターのような形。そして植生も生物も単調で種類が少ない(さほど離れて居ず気候も変わらないンドキの森とは大違い)。

高野氏は、この湖は隕石が落下した跡では?と推測している。そのようなことがあって周囲が一瞬にして焼失するようなことがあったなら、生物の種類が単調なのもわかる。もしかしてこれは隕石のかけらなのでは?という石を持ち帰ろうとするが、現地ポーターに止められてしまう。多くの企業に資材や装備を提供してもらった手前、ムベンベが空振りだったとしても、なんらかの発見という成果が欲しかっただろうな。

けど現地の人にとっては、古代から残る謎の生物が存在しない決定的な証拠になってしまう→探検客が来なくなってしまう。ここらへんの駆け引きというか、探検客をもてなしてリピーターになってもらいたいが、客がハメをはずさないように監視し行動を誘導もしなくてはならず、そのさじ加減が難しい。。。レンジャーだね。

子どもの頃、ドリトル先生や「積み過ぎた箱船」を読んで、大きくなったら獣医としてアフリカに行きたいとずっと思っていた。でも高校の生物の授業は退屈で退屈で耐えられなかった。わたしもどっちかというと、生物の研究派では無くて、未確認生物発見したい派なのかもしれない。特に若かった頃は。年齢とともに落ち着いてきて、一つのことに集中できるようになってはきたが。